望月達夫
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東京生まれ。1938年、東京商科大学(現・一橋大学)を卒業し、三井信託銀行(現・三井住友信託銀行)に入社[1]。
1941年から召集を受け、大日本帝国陸軍東部七十八部隊独立野戦高射砲第二十二中隊に配属され、キスカ島で書類作業に従事。1943年のキスカ島撤退作戦で北千島に逃れたものの、ソビエト連邦の捕虜となり、南樺太で通訳やソ連軍将校に英語を教える仕事などに従事した。1947年に復員。
1957年三井信託銀行業務部次長となり、人形町、札幌、上野各支店長を歴任。1965年取締役に選任[1]。
1966年大井証券専務取締役に転じ(1968年和光証券に改称)[1]、1970年副社長。1972年新和光投資委託社長、1978年会長、1982年顧問。
東京商科大学予科在学中から山岳部に所属。大学を卒業した1928年には社団法人日本山岳会に入会。のちに同会副会長や、同会機関誌『山岳』の編集なども務めた。また、登山家としての活動のほか、山岳紀行文の執筆やヒマラヤ山脈研究を行い、吉沢一郎、諏訪多栄蔵、深田久弥らとともに日本のヒマラヤ研究の第一人者であった[2]。
2002年8月21日、死去[2]。88歳没。