朝倉南陵

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時代 江戸時代後期
死没 天保14年11月22日1844年1月11日
享年88(満86歳没)
改名 光世、喜代槌、銀之丞、湖内、南陵
 
朝倉南陵
弟子が描いたと朝倉家に伝わる、南陵の姿。
時代 江戸時代後期
生誕 宝暦6年12月8日1757年1月27日
死没 天保14年11月22日1844年1月11日
享年88(満86歳没)
改名 光世、喜代槌、銀之丞、湖内、南陵
別名 号:等遠(とうえん)、等佳(とうけい)
紅雪、南陵
戒名 宗林軒南陵等圭居士
墓所 山口県周南市(朝倉家)
徳山藩
氏族 阿武氏朝倉氏
父母 阿武六左衛門春俊
朝倉友明(朝倉等泉)の妹
右仲(うちゅう)、震陵、娘
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朝倉南陵(あさくら なんりょう)は、江戸時代後期の徳山藩御用絵師で、朝倉家・四代目当主。 五代目当主が三男の、朝倉震陵である。

徳山藩時代にお抱え絵師として活躍した者が、朝倉家の人々だった。中でも四代の南陵は「花鳥・人物・山水」に多くの優れた作品を残した。

朝倉家初代の繁経(しげつね)は、源氏の流れをくむと言われ、最初は「鳥野安左衛門(とうの やざえもん)」と称したが、毛利元就から安芸国朝倉庄を与えられ、朝倉姓を名乗り始めた。しかし二代・友信(とものぶ)のときに故あって家柄断絶となる。以来、姓を改めて「桜井(さくらい)」と称したが、友信の子・友明(ともあき、朝倉等泉)の代で家の再興が許され、三代・友明から再び御用絵師として召し抱えられた。

友明が31歳で死去すると、親族は徳山藩浪人・阿武六左衛門春俊(あんの ろくざえもん はるとし)の子・光世(みつよ)を朝倉家に迎えた。

この光世が、のちの南陵であり、南陵は12歳で朝倉家の家督を継いだ。朝倉氏四代・南陵の誕生である。(朝倉家文書,周南風土記3章より)

生涯

南陵の作品

参考文献

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