朝倉山椒
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歴史
中世・近世
文献にみえる最古の記録は、慶長16年(1611年)9月26日、生野奉行の間宮新左衛門が駿府城にいた徳川家康に献上したことを伝える記録で、朝倉の集落で多く栽培されていたことから「朝倉山椒」と記録したものとみられる[5][4]。また、寛永年間のある年、11月2日に、出石出身の名僧と知られる沢庵和尚が、松平阿波守に朝倉山椒を一折を贈った記録が残る[4]。
先立つこと天正14年(1586年)には、豊臣秀吉が焦がした山椒を白湯に入れて飲み、風流だと喜んだとも伝えられ、山椒は高貴な身分の者への献上品として好まれたとみられる[4]。江戸時代には出石藩や篠山藩などから、枝付きの房のままの成熟した山椒を袋や箱に入れて江戸幕府へ献上された[4]。
江戸時代になると、俳諧や狂歌で朝倉山椒が題材となっている。延宝6年(1675年)には半井卜養が狂歌で「朝倉や 木の丸粒の 青山椒」と詠んでいる[6]。
加工品開発や国外展開
2010年(平成22年)には才木明を中心として、朝倉山椒生産組合を再編し、計9農家で約70アール、年間計2000本の苗木販売が出来る体制を整えた[7]。同時に、養父市が補助金制度や特産品開発事業に取り組んだことで生産量だけでなく、加工品開発が一挙に広がった。地元企業や生産出荷組合によって「朝倉山椒のタプナード」(経済産業省「The Wonder 500」選)や、「山椒ジェノベーゼ」、「山椒味噌」、味付け海苔「朝倉さんしょ海苔」(2021年「5つ星ひょうご」認定)、朝倉山椒を白あんに練り込んだ「朝倉さんしょ大福 さんしょのきモチ」など、朝倉山椒を活用した商品開発を行われている[5][2]。朝倉山椒は日本国外への展開もしており、2015年(平成27年)夏、イタリアで開催されたミラノ国際博覧会のイベントに出品したり、2020年(令和2年)8月26日、朝倉山椒味シロップが全日空の欧米路線ファーストクラスの機内食に採用されたりしている[8]。
苗木の生産が需要に追い付いていない状況で、朝倉山椒の増産が難しい状態が続いており、その大きな理由が定植地不足とされた。現在30アールの土地を10アールほど拡大を目指し、朝倉山椒ファンクラブが耕作放棄地を整備し、10アールほどの用地を確保する為、クラウドファンディングを実施して20万円の資金を集めた[9]。