朝寝坊のらく
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略歴・人物
入門前は小沢昭一が主宰していた「芸能座」に入ろうとしたが活動を終了した直後で、足かけ3年ほど小沢の事務所で手伝いをしていた[2]。
1983年11月に7代目立川談志に入門し「立川談々」[3]と名乗る。入門後、談志の命令で立川志らくを除いた当時の談志門下の前座が築地市場に修行に行かされた際には、包丁店で業務用包丁の研ぎの仕事をしていた[2]。
1988年3月に立川談坊(のちの6代目立川文都)、立川談春、立川志らくと共に二つ目昇進し[3][2]3代目「朝寝坊のらく」と改名。昇進直後のインタビューでは「明治・江戸時代の寄席の魅力、エッセンスを表現できるようになりたい」と語っていた[2]。
1990年代には志らくと談春で立川ボーイズを結成、深夜番組『ヨタロー』に出演するなど活躍。『ヨタロー』最終回までの数回は出演していないが、理由は不明。のちに廃業した[3]。弟弟子であった立川志らくによると、廃業時期は『ヨタロー』の放送終了からしばらくした頃だという[4]。
立川流の他の落語家により、既に死去していることが言及されている[1][3][4]。本人廃業後の弟弟子にあたる立川志加吾(現・登龍亭獅篭)の漫画『風とマンダラ』(単行本発売2002年)には、「近所で朝寝坊のらくさんの密葬がありました(享年47)が、ご存じでしたか?」というメールが読者から来た、という4コマ漫画がある[1]。弟弟子の立川志らくは、2010年2月に公開したWebエッセイで、のらくが故人であると述べてその思い出を語っている[3][4]。
演じた俳優
参考文献
- 諸芸懇話会、大阪芸能懇話会共編『古今東西落語家事典』平凡社、ISBN 458212612X
