朝比奈泰彦
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人物
1912年、下山順一郎教授の後任で講座担当となった朝比奈は、1941年に停年退官するまでの約30年間にわたりサクラニン、ナリンギンなどのフラバノンの研究を始めとする各種和漢薬成分の化学的研究を展開した[4]。
1933年、牧野富太郎によって創刊された『植物研究雑誌』の編集主幹を引き継ぎ、戦中・戦後を通じ1975年の没年まで続けた[5]。1951年には、牧野富太郎が自宅に保管していた標本約50万点を整理する「牧野博士標本保存委員会」を組織、国庫補助金を得て整理を行った[6]。
1948年(昭和23年)、宮内庁より正倉院宝物における薬物調査を委嘱され、1953年(昭和28年)に終了。同年10月、昭和天皇に正倉院の薬物について進講した。調査の成果は、後に『正倉院薬物』として出版された[7]。
生前、1951年と1952年にノーベル化学賞の候補に挙がっていたものの、受賞を逸している[8]。
東京で生まれ育ったが、父が旧出羽上山藩藩士だったことから本籍は山形県にあった。この縁で晩年に上山市名誉市民への推薦があったものの固辞している[9]。
栄典
家族・親族
著書
共著編
翻訳
- 有機化学攬要 オットー・ディールス 蒼〓堂, 1915