朝比奈親徳
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略歴
主君・今川氏親から偏諱を受けた。駿河国において太原雪斎らと共に家中では重鎮であった。天文17年(1548年)の小豆坂の戦いでは、一族の朝比奈泰能や子・信置らと共に参戦。永禄2年(1559年)には関口親永と共に松平元康(後の徳川家康)の後見人も務めた。安祥松平家(後の徳川氏)のみならず、大給松平家などの他の松平氏一族や牧野氏などの小指南役であったとみられる[1]。
永禄3年(1560年)の桶狭間の戦いにおいて、尾張国の織田氏の急襲によって窮地に陥った今川本陣で奮戦、鉄砲により負傷し討死したと伝わるがこれは誤りで、実際には戦場を離脱した後で主君・義元の戦死を聞いて深く悔やんだという[1]。その後も、今川氏真の下で奉行人を務め、永禄9年8月22日(1566年9月5日)に死去(「元長寺過去帳」)[1]。
系譜
- 父:朝比奈俊永
- 母:不詳
- 室:不詳
- 男子:朝比奈信置(1528-1582)
- 男子:朝比奈義永
- 男子:朝比奈義信