朝陽カントリークラブ

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所在地 日本の旗 日本
山口県山陽小野田市大字郡16-3
開業 1966年昭和41年)11月7日
運営 メンバーシップコース
朝陽カントリークラブ
Choyo Country Club
朝陽カントリークラブ
朝陽カントリークラブの空中写真。
2009年9月7日撮影。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。
所在地 日本の旗 日本
山口県山陽小野田市大字郡16-3
座標: 北緯34度2分21.31秒 東経131度10分58.88秒 / 北緯34.0392528度 東経131.1830222度 / 34.0392528; 131.1830222
概要
開業 1966年昭和41年)11月7日
運営 メンバーシップコース
設計 間野 貞吉
運営者 朝陽観光開発 株式会社
コース

OUT IN
HOLEPARYARDHOLEPARYARD
1 5535 1 5530
2 4415 2 4330
3 4405 3 4455
4 4350 4 4410
5 3185 5 3180
6 4420 6 4415
7 4380 7 4385
8 3145 8 3185
9 5545 9 5530
363380 363420

その他
公式サイト 朝陽カントリークラブ
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朝陽カントリークラブ(ちょうようカントリークラブ)は、山口県山陽小野田市にあるゴルフ場である。

日本における石炭発祥の地は、長門の国厚狭筑前の国黒崎といわれている[1]。明治以降、炭鉱開発が進み、石炭採掘に必要な採掘用ダイナマイトの生産も盛んになった[1]。ダイナマイトを製造する日本火薬(現・日本化薬株式会社)厚狭作業所は、従業員1,600名の工場に成長した[1]。しかし、1957年(昭和32年)頃、石油プロパンガスの登場で石炭不況が訪れ、日本火薬も整理対象者の受け皿の子会社2社などの対策がとられた[1]

日本火薬の作業所長・田中立治は、定年近い社員を救済するために、ゴルフ場を建設し経営することを提案した[1]。だが、会社には受け入れられなかったが、1963年(昭和38年)12月、ゴルフ場の建設用地にと山林30万坪を取得した[1]1965年(昭和40年)10月16日、新たなゴルフ場の建設に向けて経営母体「朝陽観光開発株式会社」を設立し、代表に田中立治が就任した[1]

ゴルフ場の建設用地は、日本火薬の厚狭作業所から10分程の所にあるが、石炭のガラを捨てる場所だったため、30センチも掘れば粘土質で土質の悪いところだった[1]1965年(昭和40年)10月29日、コース設計をゴルフコース設計学博士の間野貞吉に依頼し、コースの造成工事を着工した[1]1966年(昭和41年)11月7日、アウトコース9ホールが完成し、開場された。翌年1967年(昭和42年)11月7日、インコース9ホールが完成し、18ホールのゴルフ場が完成した[1]

その後、1972年(昭和47年)、インコースの荒草池を横切り山陽新幹線が通ることになり、その工事のため1年間インコースを閉鎖することになった[1]。インコースも一部の改造工事が行われることになり、新たなコース18ホールは、距離6,88ヤード、パー72のゴルフ場となった[1]

所在地

〒757-0002 山口県山陽小野田市大字郡16-3

コース情報

  • 開場日 - 1966年11月7日
  • 設計者 - 間野 貞吉
  • 面積 - 990,000m2(約29.9万坪)
  • コースタイプ - 丘陵コース
  • コース - 18ホールズ、パー72、6,800ヤード、コースレート72.3
  • フェアウェー - コウライ
  • ラフ - ノシバ
  • グリーン - 2グリーン、ベント、コウライ
  • ラウンドスタイル - キャディ人数に応じてキャディ付きとし、それ以外はセルフ、5人乗り乗用カート使用、1組4人原則、状況によりツーサム可
  • 練習場 - 15打席120ヤード
  • 休場日 - 毎週月曜日、12月31日、1月1日(セルフ営業)[2][3]

クラブ情報

  • ハウス面積 - 3,018m2(912.9坪)
  • ハウス設計 - 黒川 勝利
  • ハウス施工 - 埴生産業[2][3]

ギャラリー

交通アクセス

脚注

関連文献

関連項目

外部リンク

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