間野貞吉
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間野貞吉は、1903年(明治36年)、兵庫県神戸市に生まれ、神戸一中から岡山の旧制第六高等学校を卒業、東京帝国大学工学部建築科に入学した[1]。1926年(大正15年)、建築復興助成株式会社に入社、耐火建築の設計を主な仕事として勤務した[1]。1929年(昭和4年)、東京帝国大学を卒業した[1]。
間野は建築家として耐火建築物の設計を多く手掛けた[1]。1932年(昭和7年)、母校の東京帝国大学から、論文『ゴルフ場の施設』により工学博士号を授与された[1]。「相模カンツリー倶楽部」のメンバーとなり、ゴルフに打ちこんだ[1]。1936年(昭和11年)、設計した東京都港区虎ノ門にある日本基督教団芝教会は、戦災を免れ現存している[1]。
1941年(昭和16年)、株式会社日立製作所営繕課に勤務した[1]。戦後は、株式会社大林組の設計部に勤務、定年後も大林組で設計に従事したが、1960年(昭和35年)以降は、ゴルフ場のコース設計を行った[1]。1964年(昭和39年)、ホームコースの相模カンツリー倶楽部の理事に就任、グリーン委員長を務めた。間野が設計したコースは32コースを手掛けているが、間野のコース設計は相模カンツリー倶楽部のコース設計した赤星六郎の設計理念を受け継いでいる[1]。
主な設計コース
- 1960年(昭和35年)
- 「小山ゴルフクラブ」栃木県小山市
- 1961年(昭和36年)
- 「戸塚カントリー倶楽部・東コース」神奈川県横浜市
- 1962年(昭和37年)
- 「熊谷ゴルフクラブ」埼玉県熊谷市
- 1963年(昭和38年)
- 「倉敷カントリー倶楽部」岡山県倉敷市
- 「札幌国際カントリークラブ・島松コース」北海道北広島市
- 「諏訪湖カントリークラブ」長野県諏訪市
- 1964年(昭和39年)
- 「PGM総成ゴルフクラブ」(旧・レイクウッド総成カントリークラブ)千葉県成田市
- 「鳥取ゴルフ倶楽部」鳥取県鳥取市
- 1966年(昭和41年)
- 「朝陽カントリークラブ」山口県山陽小野田市
- 1967年(昭和42年)
- 「新沼津カントリークラブ」静岡県沼津市
- 「日立ゴルフクラブ」茨城県日立市
- 1971年(昭和46年)
- 「鈴蘭高原カントリークラブ」岐阜県高山市
- 1973年(昭和48年)
- 「新大阪ゴルフクラブ」大阪府三島郡