朝鮮総督府鉄道マテニ形蒸気機関車
From Wikipedia, the free encyclopedia
| 朝鮮総督府鉄道マテニ形蒸気機関車 | |
|---|---|
|
マテニ型のメーカー公式写真 | |
| 基本情報 | |
| 運用者 |
朝鮮総督府鉄道 軍政庁運輸部 韓国交通部 韓国鉄道庁 朝鮮民主主義人民共和国鉄道省 |
| 製造所 | 川崎車輛 |
| 製造年 | 1943年 - 1947年 |
| 製造数 | 34両 |
| 主要諸元 | |
| 軸配置 | 2D1 (2-8-2、マウンテン) |
| 軌間 | 1,435 mm(標準軌) |
| 全長 | 23,266 mm |
| 全高 | 4,066 mm |
| 機関車重量 | 112.82 t(運転整備) |
| 動輪上重量 | 78.57 t(運転整備) |
| 炭水車重量 | 65.80 t(運転整備) |
| 動輪径 | 1,520 mm |
| 軸重 | 22.0 t(運転整備最大) |
| シリンダ数 | 単式2気筒 |
| シリンダ (直径×行程) | 600 mm × 710 mm |
| 弁装置 | ワルシャート式 |
| ボイラー圧力 | 14.0 kg/cm2 |
| 大煙管 (直径×長さ×数) | 90 mm × × 104本 |
| 小煙管 (直径×長さ×数) | 51 mm × ×63本 |
| 火格子面積 | 5.24 m2 |
| 全伝熱面積 | 339.77 m2 |
| 過熱伝熱面積 | 98.50 m2 |
| 全蒸発伝熱面積 | 241.27 m2 |
| 煙管蒸発伝熱面積 | 217.00 m2 |
| 火室蒸発伝熱面積 | 24.27 m2 |
| 燃料 | 石炭 |
| 燃料搭載量 | 12.0 t |
| 水タンク容量 | 28.0 m3 |
| 設計最高速度 | 90 km/h |
| シリンダ引張力 | 20,010kg |
| 粘着引張力 | 17,460kg |
| 備考 | 諸元は朝鮮交通史 [本編][1]p438-439による。 |
朝鮮総督府鉄道マテニ形(마테2)蒸気機関車は、かつて日本統治時代の朝鮮で朝鮮総督府鉄道が使用した旅客用テンダー式蒸気機関車。形式称号の「マテニ」とは、ホワイト式車輪配置4-8-2(日本式2D1、アメリカ式「マウンテン」)の第2形式を意味している。
構造
機関車重量約113トン、炭水車重量約79トン[4]、動輪径1,520ミリメートル、最大軸重22トン[5]の諸元を持ち、線路容量(クーパー荷重E50)最大の高速・重量級機関車として設計された[2]。
貨客両用の運用と、曲線通過時に車両をスムーズに誘導して動輪第一軸のフランジの摩耗を防ぐため先輪をボギー台車とした4-8-2の軸配置が選ばれた[6][7]。朝鮮総督府鉄道のパシイ形やパシコ形蒸気機関車と同様に火室を延長し、燃焼室を設けて効率を高め石炭消費量を抑えていたが、当時の鉄道省や満鉄は蒸気機関車のボイラーへの燃焼室の採用に消極的で、量産車ではD52形だけが採用していた[8]。
本機は朝鮮総督府鉄道にとって最後に設計された機関車となり、自動給炭機と給水温め器を備えていた。また、内地の蒸気機関車と同様の戦時設計が始めて取り入れられ[9]、冷涼な朝鮮半島北部で用いられるために密閉キャブが採用された。設計は朝鮮鉄道局の車両係長、西山重道技師[10]が担当した。
運用
戦時中に旅客輸送が急増した京元線・咸鏡線の勾配線区用として計画された。京元線の中でも勾配の厳しい福渓 - 高山間は電化してデロイ形電気機関車が受け持ち、それ以外の区間で本機が急行列車を牽引する予定であった[11]。
従来これらの線区の旅客列車にはテンホイラーのテホロ形やパシフィック型のパシイ・パシニ・パシサ・パシシ形が使用されていたが、連結両数の増加に対して牽引力が不足しており重連運転を行っていた。これを単機で牽引する[8]旅客列車牽引機[12]およびミカド型(ミカサ形等)に変わる貨物列車牽引機として[13]活躍が期待された。しかし、配備が終戦間近であったため真価を発揮できず[14]、京釜線の普通列車でも用いられたという。
韓国での退役時期は不明だが、1950年代半ばからディーゼル機関車への切り替えが始まり、蒸気機関車も調子のよい車両を選別して重油焚きに改造して使用したが、1967年に全廃された[15][注釈 1]。北朝鮮では2003年まで現役で走っていたと確認されている。