木下あきら
日本の歌手 (1948-2026)
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経歴
生い立ち
高校生の時から、地元のナイトクラブで歌っていたが、高校卒業後は地元で炭鉱作業員となった[4]。
24歳のとき、同じく炭鉱員だった秋庭豊に誘われ、一緒に札幌市に移って音楽活動を始め、「秋庭豊とシャネル・フォー」という名義で活動した[4]。
アローナイツの成功
秋庭豊とシャネル・フォーは、札幌市すすきののクラブに出演していた際に作曲家・吉田佐に出会い、「中の島ブルース」を提供され、1973年に自主制作盤を作ったところローカルにヒットし、これをきっかけにメジャー・デビューに至った[2][4]。グループ名を秋庭豊とアローナイツと改め、1975年には、歌詞に手を加え、録音し直された「中の島ブルース」が、内山田洋とクール・ファイブとの競作となって、両者ともにヒットし、グループは、各種の音楽祭への出演や、受賞などの成功を収めた[2]。その後も、ヒット曲を送り出し続け、1988年には日本ゴールドディスク大賞演歌賞を受賞した[2]。
その後の活動
1990年、グループを率いていた秋庭豊が44歳で死去し、以降、グループはメンバーが変動して、最終的に木下ひとりが音楽活動を続けることになった[2][3]。
2002年には、敏いとうとハッピー&ブルーの2台目ボーカルであった森本英世、森雄二とサザンクロスのボーカル・菅野ゆたかと、「ハッピー・サザン・アロー」を結成して共演し、2年ほど活動した[2][4]。
木下は、長く「アローナイツ(木下あきら)」としてグループの名義を継承して活動を続けていた[1]。
私生活
ディスコグラフィ
木下は、事実上のソロ歌手となった後も、レコードは「アローナイツ(木下あきら)」として発表している。ディスコグラフィについては、秋庭豊とアローナイツ#ディスコグラフィを参照のこと。