木下利徽 From Wikipedia, the free encyclopedia この項目に含まれる文字「徽」は、オペレーティングシステムやブラウザなどの環境により表示が異なります。 時代 江戸時代中期 - 後期生誕 天明6年12月1日(1787年1月19日)死没 嘉永4年9月13日(1851年10月7日)改名 定太郎、利徽 凡例木下利徽時代 江戸時代中期 - 後期生誕 天明6年12月1日(1787年1月19日)死没 嘉永4年9月13日(1851年10月7日)改名 定太郎、利徽幕府 江戸幕府主君 徳川家斉藩 備中足守藩主氏族 木下氏父母 木下利彪、松平親盈娘子 利愛ら6男7女利徳テンプレートを表示 木下 利徽(きのした としよし)は、江戸時代中期から後期にかけての大名。備中国足守藩9代藩主。足守藩木下家10代。 8代藩主・木下利彪の長男として誕生した。幼名は定太郎。 寛政11年(1799年)8月9日、利彪の隠居により家督を継いだ。同年12月25日、備中国賀陽郡・上房郡内の領地22200石余を陸奥国伊達郡・信夫郡内に移される。享和2年(1802年)2月18日、11代将軍徳川家斉に拝謁する。父以上に病弱だったために政務が執れず、文化2年(1805年)7月29日に伊勢国津藩藤堂家から利徳を養嗣子として迎え、同年9月5日に隠居した。隠居後も幕閣や諸藩主とのやり取りは続いていたようであり、いくつかの書状が確認されている。 十代で病弱理由に隠居した割には長命であり、嘉永4年(1851年)9月13日、66歳で死去した。 系譜 子女は6男7女 父:木下利彪(1766?-1801) 母:松平親盈の娘 室:不詳 次男:木下利愛(1804-1859) 養子 男子:木下利徳(1789-1821) - 藤堂高嶷の七男 表話編歴木下家足守藩9代藩主 (1799年 - 1805年)木下家 木下家定 1601-1608 木下勝俊(木下利房) 1608-1609 遺領を勝俊・利房兄弟で分割相続という幕府の指示に反して勝俊が独占したため幕命違背により改易 浅野家 浅野長晟 1610-1613 長晟が浅野本家を相続して紀州藩主となったことで足守は公儀御料に 公儀御料(1613-1615) 木下家 木下利房 1615-1637 木下利当 1637-1661 木下利貞 1662-1679 木下㒶定 1679-1729 木下利潔 1729-1740 木下利忠 1740-1784 木下利彪 1784-1799 木下利徽 1799-1805 木下利徳 1805-1821 木下利愛 1821-1847 木下利恭 1847-1871 廃藩置県 Related Articles