木下崇俊 From Wikipedia, the free encyclopedia 木下 崇俊(きのした たかとし、1934年〈昭和9年〉2月21日[1] - 2022年〈令和4年〉4月4日[2])は、豊後国日出藩木下家第19代当主[3]。 神奈川県川崎市に在住していた[3]。 子爵・木下俊煕の長男として誕生。東京で育つ[4]。 学習院大学を卒業。上皇明仁とは学友であった[5]。 東京交通会館で勤務していたが、崇俊の姉の夫が恵比寿駅前で創業した、パチンコ店「恵比寿会館」に義兄に誘われ入社[6]。常務取締役に就任したが、当初は店員として店で勤務をしていた[6]。その後監査役等を務める[7]。 また旧領の大分県速見郡日出町を年に3回訪問しており、晩年まで地元の人たちからは「殿」の愛称で親しまれた[3][7]。 2022年4月に川崎市内の病院で死去[3]。享年88。 人物 前述の通り、上皇明仁とは学習院時代の学友で、後年まで親交があった[5]。また当時は皇族でもあった、小室眞子とも面識がある[5]。 日出町にある旧家臣団の会には106人の会員がいる[7]。 系譜 祖父:木下俊哲 父:木下俊煕 脚注 ↑ 『平成新修旧華族家系大成』上、霞会館、1996年、p.508。 ↑ 『現代物故者事典 2021〜2023』日外アソシエーツ、2024年、p.191。 1 2 3 4 “「殿」の愛称で町民に親しまれ 旧日出藩主木下家の第19代崇俊さん死去”. 大分合同新聞. (2022年6月3日). https://www.oita-press.co.jp/1010000000/2022/06/03/JD0061363887 2022年6月6日閲覧。 ↑ “木下家19代当主・木下崇俊「なぜか『豊冨』と名乗った初代」”. 週刊朝日. (2016年2月7日). https://dot.asahi.com/articles/-/109095 2022年6月6日閲覧。 1 2 3 “上皇さまが眞子さまに「昭和天皇のお墓参り」を助言 学友が明かす”. 週刊朝日. (2021年10月27日). https://dot.asahi.com/articles/-/64603 2022年6月6日閲覧。 1 2 “木下子爵家 日出藩主”. 直球和館 (2004年7月19日). 2022年6月6日閲覧。 1 2 3 “「敗軍の将」の末裔が明かす大名家に伝わる極秘の言い伝え”. 週刊朝日. (2015年8月31日). https://dot.asahi.com/articles/-/108215 2022年6月6日閲覧。 Related Articles