木佐徳三郎
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出雲国出雲郡坂田村(島根県簸川郡斐川町を経て現出雲市)で、地主、7代・勝部本右衛門栄忠の六男として生まれ、楯縫郡平田村(現出雲市)の7代・木佐徳三郎の養子となり、後に家督を継承し徳三郎を襲名した[1]。幕末には最後の楯縫郡下郡役(したごおりやく)を務めた[1]。
明治維新後、楯縫郡仮郷校取締、島根県第五十三・五十四両区戸長、兼学区取締心得、平田町会議員などを務め、1892年2月の第2回衆議院議員総選挙で島根県第三区から出馬して当選し、弥生倶楽部に所属して衆議院議員を一期務めた[2][4]。
養蚕伝習所、平田製糸場を設置し、その後、平田両全製糸会社を組織して、蚕糸業の振興に尽力した[1][2]。実業界では、宍道湖水運のための蓬莱社の設立、平田銀行の設立(頭取就任)、一畑軽便鉄道の社長に就任するなどの活動を行った[1][2][4]。