木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか

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木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか
本書の表紙カバーに使用されている木村政彦の写真(1935年ごろ)
本書の表紙カバーに使用されている木村政彦の写真(1935年ごろ)
著者 増田俊也
発行日 2011年9月30日
発行元 新潮社
ジャンル ノンフィクション評伝
日本の旗 日本
言語 日本語
形態 上製本
ページ数 701
コード ISBN 978-4-10-330071-7
ウィキポータル 書物
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木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか 上, 下
著者 増田俊也
発行日 2014年2月28日
発行元 新潮社
ジャンル ノンフィクション評伝
日本の旗 日本
言語 日本語
形態 文庫本
ページ数 576, 616
コード ISBN 978-4101278117,
ISBN 978-4101278124
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木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』(きむらまさひこはなぜりきどうざんをころさなかったのか)は、増田俊也による長編ノンフィクション

ゴング格闘技』誌上で2008年1月号から2011年7月号にかけて連載、2011年9月30日に新潮社から単行本として発売され、発売半年で18刷のベストセラーとなった[1]。第43回大宅壮一ノンフィクション賞[2]、第11回新潮ドキュメント賞受賞作[2]

史上最強の柔道家と呼ばれる木村政彦の生涯を書いた評伝。その過程で、明治、大正、昭和、平成にかけての柔道史と、世界の総合格闘技(MMA)史や、空手合気道ブラジリアン柔術プロレス史などに触れられている。

1937年から全日本柔道選手権を13年連続で保持し、「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」「鬼の木村」と讃えられた木村の生涯を、新聞記者出身の作者が、これまでに築いた取材力と人脈を活かしながら、18年の取材執筆をもとに書かれている[注釈 1][3]

2013年4月からは『週刊大衆』(双葉社)において、内容を大幅にアレンジした漫画化作品『KIMURA』(作画:原田久仁信)が連載開始された。

2014年には文庫本が上下巻に分割され発行。帯文は上巻は百田尚樹、下巻は板垣恵介。あとがきも板垣恵介[4]

あらすじ

天覧試合昭和天皇から下賜された短刀を手にする木村政彦(1940年、22歳)

同郷熊本出身で「鬼の牛島」と呼ばれた牛島辰熊によって才能を見出された木村政彦は故郷熊本を離れ、東京の牛島塾で訓練を受け、全日本選手権を連覇、1940年天覧試合を制する。しかし、戦争で柔道から離れざるをえず、戦後もGHQによって軍国主義的との烙印を押された柔道は禁止され続け、不遇の時代を過ごす柔道家のために師匠牛島はプロ柔道を旗揚げし、木村政彦も参戦する。

しかし、興行の失敗で師弟は袂を分かち、木村は海外へ渡る。ブラジルマラカナンスタジアムエリオ・グレイシーの挑戦を受け、これを退けた木村はアメリカ本土に渡りプロレスラーとなった。やがて帰国した木村は、別ルートでプロレスラーとなり、日本にプロレスブームを引き起こした元大相撲関脇力道山とタッグを組むようになる。しかし、プロレスに適応できず、負け役ばかりの現状に耐えかねた木村は、「真剣勝負で決着をつけよう」とマスコミを通じ力道山に宣戦布告する。ここに「昭和の巌流島」と呼ばれる試合が行われることとなる。

反響と評価

連載版と書籍版

脚注

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