木谷明

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木谷 明(きたに あきら、1937年昭和12年〉12月15日 - 2024年令和6年〉11月21日)は、日本弁護士裁判官。位階勲等は従三位瑞宝重光章東京高等裁判所部総括判事等を歴任し、退官後に法政大学法科大学院教授を務めた。

囲碁棋士木谷實九段の次男[1]神奈川県平塚市に生まれる。女流棋士の小林禮子、アナウンサーの吉田智子は妹。

神奈川県立平塚江南高等学校を経て[2]東京大学法学部在学中に司法試験に合格し、1961年昭和36年)に大学を卒業して司法研修所に入所。司法修習を経て、1963年(昭和38年)に判事補任官(東京地裁)。最高裁事務総局刑事局付、最高裁判所調査官水戸家裁所長、水戸地裁所長などを経て、2000年(平成12年)5月に東京高裁部総括判事を最後に依願退官[3]。同年6月、公証人(霞ヶ関公証役場)となる。2004年(平成16年)から2012年(平成24年)まで法政大学法科大学院教授を務め、2012年(平成24年)より弁護士2008年秋の叙勲で、瑞宝重光章を受章した[4]

刑事裁判の有罪判決が99.9%以上を占めると言われる日本の裁判所にあって、珍しく無罪判決を書くことに積極的だった裁判官として知られ、現役中に30件以上の無罪判決を確定させた実績を持つ。彼は、日本の裁判官のほとんどが検察の言いなりに動いて有罪判決ばかりを書き、多数の冤罪判決を生み出し続けていると批判される現状について、「私はかなり多くの無罪判決を出しましたが、1件だけしか控訴されませんでした。でも、無罪判決にはたいてい検察官が控訴します。控訴されると無罪判決が破棄されることが多いのも事実です。控訴されない無罪判決を書くには技術が要ります。いろいろな事件で苦労してはじめて一人前の裁判官になると思うのですが、無罪判決を書く苦労をしていない裁判官が多いのは残念なことです。その結果、検察に物申すような裁判官が私の現役時代と比べて減ってしまいました。皆さん天下の大秀才なのでしょうが、腹の据わった裁判官はどこにいってしまったのでしょうね。この国の刑事司法の先行きが本当に心配です。」と苦言を呈している[5]

1997年(平成9年)の東電OL殺人事件の一審で無罪となったネパール国籍の被告人に対する検察側の勾留請求に対し、職権発動をしない旨を決定する。著書の『刑事裁判の心―事実認定適正化の方策』は周防正行が映画作りの参考本にし、映画『それでもボクはやってない』の前半部に出てくる人権派の裁判官は、木谷がモデルである[6]

2024年令和6年)11月21日10時42分、急性心筋梗塞のため、東京都三鷹市の病院で死去した[7][8]86歳没。死没日付をもって従三位に叙された[9]

2025年令和7年)9月20日、「木谷明先生を偲ぶ会」が法政大学(東京都千代田区)で開催され、約200人が集い、故人を惜しんだ。 裁判官の期後輩だった島田仁郎・元最高裁長官は「刑事裁判官としては、はるか大先輩のよう。無辜の者を決して罰してはならないという信念を貫いていた」と振り返った。また、映画「それでもボクはやっていない」の映画監督のである周防正行は、「木谷さんは裁判官でも絶滅危惧種だと言う人がいたが、まだ『木谷種』は絶滅していないと信じている」と話した[10]

最高裁判所調査官として担当した裁判

最高裁判所調査官時代に木谷が担当し判例百選に掲載された7つの裁判は次のとおり。

  • S54.7.31 刑罰法規の解釈(鳥獣保護及狩猟ニ関スル法律違反被告事件)
  1. 関連:判例百選 刑法I [第7版] 1事件
  • S55.1.28 わいせつ概念の再構築(「四畳半襖の下張り」事件)
  1. 判例百選 憲法I [第6版] 58事件
  • S55.10.30 自動車の一時使用と不法領得の意思
  1. 判例百選 刑法II [第7版] 32事件
  1. 判例百選 刑法II [第7版] 20事件
  2. 判例百選 憲法I [第6版] 69事件
  • S57.7.16 共同正犯と幇助犯
  1. 判例百選 刑法I [第7版] 77事件
  • S57.11.16 道交法による集団行進の規制
  1. 判例百選 憲法I [第6版] 90事件
  1. 関連:判例百選 憲法I [第6版] 16事件

その他、1983年柏の少女殺し事件再抗告審においては、木谷は「保護処分不取消決定に対しても一定限度で上訴を認めるべき」とするまったく新たな法解釈を示した報告書を提出し、それに基づいて最高裁は原決定の取消差戻しを決定している[11]

主著

その他

脚注

外部リンク

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