本多忠孝 From Wikipedia, the free encyclopedia 本多 忠孝(ほんだ ただたか)は、江戸時代中期の大名。播磨国姫路藩の第2代藩主、越後国村上藩の初代藩主。官位はなし。忠勝系本多家宗家7代。 時代 江戸時代中期生誕 元禄11年(1698年)死没 宝永6年9月13日(1709年10月15日)幕府 江戸幕府概要 凡例本多 忠孝, 時代 ... 凡例本多 忠孝時代 江戸時代中期生誕 元禄11年(1698年)死没 宝永6年9月13日(1709年10月15日)幕府 江戸幕府主君 徳川綱吉→家宣藩 播磨姫路藩主→越後村上藩主氏族 本多氏(平八郎家)父母 父:本多忠国、母:不詳子 養子:忠良テンプレートを表示閉じる 略歴 姫路藩主・本多忠国の3男。 宝永元年(1704年)5月10日に父の死により家督を相続する。しかし、姫路は西国の要となる場所であることから、幼少を理由に忠孝は5月28日に越後村上藩に移封された。 村上城に一度も入城しないまま、宝永6年(1709年)9月13日に12歳で死去した。無嗣であったため本来であれば断絶であったが、本多忠勝以来の名門の家系であったため、幕命により一族の本多忠良が家督を相続した。しかし、禄高は15万石から5万石に減封され、さらに、三河国刈谷藩に移封された。 系譜 Summarize Fact Check 父母 本多忠国(父) 養子 本多忠良 ー 本多忠英の長男 この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。表示編集 Related Articles