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本多忠豊

戦国時代の武将。三河国松平氏家臣。7代本多助時-8代本多助豊-忠豊。本多氏9代 From Wikipedia, the free encyclopedia

本多 忠豊(ほんだ ただとよ)は、戦国時代の武将。三河国松平氏家臣。徳川四天王・本多忠勝の祖父にあたる。本多氏9代目。

生誕 不詳
別名 平八郎、吉左衛門
概要 凡例本多忠豊, 時代 ...
 
本多忠豊
時代 戦国時代
生誕 不詳
死没 天文14年9月20日(1545年10月25日)
別名 平八郎、吉左衛門
墓所 愛知県岡崎市大和町妙源寺,愛知県安城市安城町赤塚 本多忠豊墓碑
主君 松平清康→広忠
氏族 藤原北家兼通流本多氏
父母 父:本多助豊、母:不詳
子 忠高、忠真
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妙源寺にある本多忠豊の墓(右)

生涯

松平氏に仕えて、その重臣として活動した。享禄2年(1529年)の岩崎城・野呂城攻めに供奉する。享禄3年(1530年)、宇理城の熊谷直盛を攻めた際に、敵兵が主君・松平清康に迫った時には自ら進み出て奮戦した。この功により扇の指物を賜った。清康の死後、松平広忠を伊勢国から岡崎まで迎えた[1]。

天文14年(1545年)、三河安祥城をめぐる織田信秀との戦い(第二次安祥合戦)で敗北した松平広忠を逃がすため、殿軍を務めて討死した。三河国乗子の大中寺に葬られ、後に妙源寺に改葬された[1]。

第三次安城合戦で戦死したとされる地に立つ本多忠豊墓碑(愛知県安城市)

寛政6年(1794年)に岡崎藩主本多忠顕が建立した墓碑が安城市内に残る。

登場作品

脚注

参考資料

関連項目

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