岩崎城 (尾張国)
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(愛知県) | |
|---|---|
|
岩崎城 模擬天守 | |
| 城郭構造 | 平山城 |
| 天守構造 |
なし 望楼型3層4階、(RC造り)模擬 |
| 築城主 | 不明(織田信秀?) |
| 築城年 | 室町時代末期[1] |
| 主な改修者 | 丹羽氏清 |
| 主な城主 | 織田氏・松平氏・丹羽氏 |
| 廃城年 | 1600年 |
| 遺構 | 曲輪・空堀・土塁・土橋・建造物跡・井戸跡など |
| 指定文化財 | 未指定 |
| 位置 | 北緯35度08分42.3秒 東経137度02分33.3秒 / 北緯35.145083度 東経137.042583度座標: 北緯35度08分42.3秒 東経137度02分33.3秒 / 北緯35.145083度 東経137.042583度 |


岩崎城(いわさきじょう)は、尾張国山田郡[注 1](のち愛知郡)岩崎(現愛知県日進市岩崎町)にあった戦国時代の日本の城(平山城)。
享禄(岩崎)の戦い
横山の戦い
小牧・長久手の戦いと岩崎城の戦い
落城後の岩崎城
現在の岩崎城
「表忠義」
岩崎城在名古屋之東南距岡崎北距小牧各数里小牧之役城主丹羽氏次従徳川氏之軍弟氏重留守敵将池田信輝欲襲岡崎間道潜兵過其城下氏重年甫十六患痘臥蓐聞敵至蹶然執刀而木起母氏見之喜歎交至謂日汝兄従軍汝以死禦敵我興汝共死不以為憾也取鎧授氏重拝謝揮老幼婦女避干城外妙仙寺跨白馬提長槍而出士卒感奮里民工商懐・・・ — 『愛知県史蹟名勝天然記念物調査報告書』「岩崎城址」大正15年より抜粋[3]
廃城後は300年以上も整備されることは無く、本丸跡は畑となっていた。明治43年(1910年)に旧尾張藩士らの手により、岩崎城の戦いで戦死した丹羽軍将兵を慰めるため、「表忠義」の題を持つ記念碑が本丸の櫓台に建てられた。現在でも毎年4月9日には慰霊祭が行われている。
また昭和62年(1987年)には、展望塔として五重構造の天守閣(模擬天守)が築城、「岩崎城址公園」として整備され、併設する岩崎城歴史記念館には岩崎城の歴史や城跡からの出土品などが展示されている。ただし、史実を無視した模擬天守を建築する一方で、一部の遺構を破壊したため、城郭研究者の千田嘉博に批判されている[4]。
また整備中に偶然発見された古墳(6世紀に建てられたとされる)を再現したものが公園内に展示されている。その他、二の丸には水琴窟を持った日本庭園が造られている。
城郭の構造
遺構
- 曲輪・空堀・土塁など[注 2]。
関連施設ほか
- 模擬天守 - 望楼型3層4階の展望塔。本記事の「現在の岩崎城」項も参照。
- 模擬二層櫓 - 模擬天守に併設の「岩崎城歴史記念館」。一色丹羽氏の家紋「丹羽扇」入り「登城記念証」などが販売中。
