岡山県児島郡藤戸町天城[1](現在の倉敷市)生まれ。本名・仲造。天城高等小学校卒。1900年山陽新報に入社し、記者生活を送りながら連載小説を書き、『文庫』などに寄稿。与謝野鉄幹夫妻の知遇を得て『明星』同人となり、地元でも同人誌「星光」「白虹」などを発行する。のち中国民報記者、のち上京して、二六新報、報知新聞、読売新聞などの記者を続ける。1926年には雑誌「大衆文芸」の創立にも参加する。料理にも造詣が深く、記者として料理記事を担当し、1929年[1]に東京京橋に「蔦屋」を開店した[2]。1941年に京橋の店舗と自宅を引き払い、品川区南品川の天妙国寺境内へ転居した[1]。
戦後は料理研究に専念した[1]。墓所は東京都品川区南品川の天妙国寺。