安東選出の国会議員では5選という最多選記録保持者であるが、第9代国会議員を除くと全てが議員の任期中に国会が強制解散されたため、在任期間は13年しかなかった。また、朴海充の出現により、安東地域で安東金氏と安東権氏(朝鮮語版)の2大本貫から当選者が輩出することにしばらく雑姓が混ざるようになった[2]。
野党内では金泳三の上道洞系と金大中の東橋洞系のどちらにもつかない無派閥の政治家であった。しかも大規模な国家事業のために時々与党に協力することもあったため、「野党の仮面をかぶった親政府の政治家」などと野党側から批判されたこともある[2]。
1976年10月28日、安東多目的ダムの竣工式で大統領の朴正煕は発電機の稼働ボタンを押す直前、突然壇下にいた朴海充を呼び上げ、ボタンを一緒に押そうと提案した。当時の現場には同じ選挙区から選出された与党議員の金尚年もいたため、予想外の出来事となった。その原因はダムの建設に野党の新民党所属の朴海充の協力がなかったら、ダム反対の声が大きくなると絶対に成し遂げられない事業であったためと考えられる。しかし、その後に安東では「朴正煕と朴海充が同じ朴氏だから親交が厚い」という噂が出てきて、「サクラ」とも批判された[2]。
第13代総選挙で安東市選挙区から当選した国会議員の呉景義は朴の秘書官であった[2]。