杉原長氏 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 安土桃山時代 - 江戸時代生誕 永禄10年(1567年)死没 慶長6年(1601年)別名 正次[1]、通称:四郎兵衛[1][2]、法名:空慶 凡例杉原 長氏時代 安土桃山時代 - 江戸時代生誕 永禄10年(1567年)死没 慶長6年(1601年)別名 正次[1]、通称:四郎兵衛[1][2]、法名:空慶主君 豊臣秀吉→徳川家康氏族 杉原氏父母 父:杉原源七郎[注釈 1]妻 根村光次の娘子 内膳[注釈 2]、正永、女(高橋右衛門兵衛[注釈 3]室)テンプレートを表示 杉原 長氏(すぎはら ながうじ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、使番。祖父は杉原家利、父は杉原家次の弟である杉原源七郎。通称は四郎兵衛。諱は正次とも言う。 永禄10年(1567年)、杉原家次の弟・源七郎の子として生まれる。 慶長元年(1596年)より徳川家康に仕える[1]。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いには使番の1人として従軍し、西軍敗走後の追撃で胸に矢を受けて重傷を負ったが、屈せずに首級を挙げた[1]。本多正純よりこの話を聞いた家康から傷薬を下賜される。 翌慶長6年(1601年)に但馬国気多郡において1,000石の所領を賜ったが、同年に死去。享年35[1]。 長氏の子孫については、嫡流は6代目の杉原正武が舟での納涼の際に悪酔いして川に落ちて死去し、明和2年(1765年)に断絶したが、傍流は明治維新まで存続した。 脚注 [脚注の使い方] 注釈 ↑ 杉原家利の次男で、源七郎、四郎左衛門正衛。諱は「義正」ともされる[1]。 ↑ 父の先だって夭折した[1]。 ↑ 松平忠直の家臣。 出典 1 2 3 4 5 6 7 堀田 1923, p. 670. ↑ 大日本人名辞書刊行会 1926, p. 1350. 参考文献 堀田正敦「国立国会図書館デジタルコレクション 杉原氏」『寛政重脩諸家譜. 第3輯』國民圖書、1923年、670頁。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1082714/344 国立国会図書館デジタルコレクション。 大日本人名辞書刊行会 編『国立国会図書館デジタルコレクション 大日本人名辞書』 上、大日本人名辞書刊行会、1926年。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1879491/681 国立国会図書館デジタルコレクション。 Related Articles