米子市立福原中学校時代、鳥取県中学校総合体育大会で優勝。米子東高校3年次の1983年、夏の甲子園に3番捕手として出場(初戦敗退)。一浪を経て慶應義塾大学に進学し野球部に入部。上級生となり指導者に転じ、1990年には新人戦の監督を務めた。1991年、山陰合同銀行に入行。仕事の傍ら、慶應義塾大学野球部コーチ、助監督を歴任。1997年春、山陰合同銀行を退行し、米子東高校硬式野球部監督に就任。1998年夏まで務めた[1]。
1999年より、NHK鳥取放送局にて高校野球の解説を担当。その後1999年春、2000年春にそれぞれゲスト解説として、2002年春には正式に全国大会の解説者デビューを果たす。2006年からは夏の全国高等学校野球選手権大会の解説も担当するようになる。以後、春夏の甲子園でキャリアを積み重ねている。肩書きは「元米子東高校監督」。
現在、米子東高校野球部OB会の副会長も務めている。