杉村清子

From Wikipedia, the free encyclopedia

杉村 清子(すぎむら せいこ)は、日本陸上競技短距離走走幅跳)選手。1940年代末から50年代初頭にかけて活躍。第1回アジア大会(1951年)で3つの金メダル(個人2、リレー1)を挙げ、1952年ヘルシンキオリンピックの有力選手と目されたが、合宿中に病に倒れて闘病生活を余儀なくされた[1]

1949年日本陸上競技選手権大会の走幅跳で優勝(当時の所属は高井メリヤス[注釈 1][2]

日本女子体育大学に入学。1950年7月、日本学生陸上競技対校選手権大会女子走幅跳で、5m86と日本学生記録を更新[注釈 2][4]。1950年8月、日本学生東西対抗陸上競技大会に参加し、女子100m走で戦前の人見絹枝に並ぶ12秒2の日本記録タイ記録を出したほか[注釈 3][3]、女子200m走の初代日本学生記録(26秒0)を残す[5]。1950年10月の日本陸上競技選手権大会で走幅跳2連覇を達成した[2]

1951年3月、ニューデリーで開催された第1回アジア競技大会に出場[1]。100m(12.6秒)、走幅跳(5m91)で優勝し[1]、4×100mリレー(岡本貴美子佐藤妙子吉川綾子と出場)でも金メダルを獲得[1]

1951年の日米対抗陸上競技大会では、女子100m走で12秒2の日本記録タイ記録を2度にわたって出したあと、8月16日の日米陸上競技宮城大会で12秒1を出し、日本記録を更新した[3](この記録は10月30日に吉川綾子が12秒0で更新している[3])。また、一連の日米対抗競技の中で、自己の保持する200mの学生記録を25秒7に[5][注釈 4]、走幅跳びの学生記録を6m05に[4][注釈 5]、それぞれ伸ばした。

1952年ヘルシンキオリンピック代表候補に選ばれていたが、1951年9月、オリンピック強化合宿中に病気に倒れた[1]結核に罹患したという[6])。生死をさまよい9か月間入院[1]。1954年、日本女子体育大学卒業[1]

栄誉

  • 1951年 - 日本スポーツ賞(読売新聞社)受賞[1]
  • 1951年 - 朝日スポーツ賞(朝日新聞社)受賞[1]

脚注

参考文献

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI