本籍は全羅南道[3]、現在の全羅北道群山市出身[4]。23歳の時に三・一運動に加わった際には巡査に首のあたりを殴られたことにより気絶したほか左足を負傷し、その後清渓川沿いに放置されていた。このとき通りかかった行商の夫婦に呻吟する声が届いたことにより、スカートで足の血管を保護され病院に運ばれた。以降一生跛行の状態となった[4]。1926年に夜間の学習塾を経営し、ソウル特別市社会局長を務めた[3]。1951年12月17日から1953年11月22日までは麗順事件の収拾のために第3代全羅南道知事を務め、在任中は第2代知事の朴哲洙が任期中に挙がった案である全南大学校の設立などを行った。2005年6月11日には他の全羅北道知事歴任者らと共に全羅南道庁を訪れ、意見交換を行なった[5][6]。このほか、歴代の全羅南道知事の集まりである知友会長を務めた。2007年5月1日に死去。享年110[4]。