李嘉誠
From Wikipedia, the free encyclopedia
1928年に中華民国の広東省潮州市に生まれ、日中戦争の戦火から逃れ1940年家族とともにイギリスの植民地の香港に逃れた[3]。しかし、太平洋戦争の勃発により、1941年には香港も日本軍の占領下に入り、栄養失調と病気に苦しめられた。父も間もなく結核で亡くなったため、一家を養うために15歳前にして学業を断念、プラスチックの貿易会社で働きだした[4]。最終学歴は中卒(高校中退)。
1949年香港にプラスティックの工場を作り、造花を売り出したところ、「ホンコンフラワー」として大当たりとなった。1958年に不動産業に転身し、1967年香港暴動で暴落した土地を買い漁り[5]、長江実業有限公司を設立して香港最大の不動産ディベロッパーとなった。1979年に和記黄埔(ハチソン・ワンポア)、1985年に香港島の電力供給を独占する香港電灯を買収し規模を拡大した。
1989年に天安門事件が発生して外国企業が中華人民共和国から避難したとき、逆に中華人民共和国への投資を拡大して香港最大の企業集団として台頭した。主に中華人民共和国の発電所建設に当る長江基建などを所有し、中華人民共和国の指導者とも深いつながりがある。左派資本家の霍英東や、マカオのカジノ王(香港でもグループ企業を持つ)スタンレー・ホーとも親しい。ただし、北米などへも投資していることから、中国人民政治協商会議副主席への就任を断ったとも言われている一方[6]、息子の李沢楷[7][8]と李沢鉅[9]は全国政協で委員を務めている。
フィランソロピー
愛用車
家族
伝記・関連書籍
- 西原哲也「秘録・華人財閥=日本を踏み台にした巨龍たち」(NNA、2008年7月)