日本統治時代の江原道鉄原郡鉄原邑出身。鉄原公立普通学校を経て、1944年に儆新高等学校卒。1946年、陸軍士官学校(第2期生)卒。朝鮮戦争に参戦後、陸軍本部砲兵監(1953年)、第12師団第51軍団砲兵司令官(1954年)を歴任し、1957年に国防大学院を修了した。第38師団長として在職中の1961年5月25日、第12代江原道知事に任命され、同年8月25日まで務めた。1962年に中将として予備役編入され、1969年に韓国浚渫公社常任監事を務め、その後出身地の鉄原で農場を経営した。1988年に死去[1]。