進士に及第した。塩鉄官・渭南県尉・右補闕・侍御史を歴任した。天祐元年(904年)、長安と洛陽が混乱に陥ると、徳休は河北に寄寓した。義武軍節度使の王処直に召し出されて従事となった。後唐の同光元年(923年)4月、荘宗が魏州で即位すると、徳休は召し出されて御史中丞となった。10月、判東西両銓事をつとめた。同光2年(924年)2月、兵部侍郎に任じられた。11月、吏部侍郎に転じた。のちに尚書左丞をつとめた。天成2年(927年)、礼部尚書として致仕した。長興2年(931年)8月27日、死去した。享年は74。太子少保の位を追贈された。