李昶 (元)

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李 昶(り ちょう、1203年 - 1289年)は、金朝およびモンゴル帝国大元ウルス)に仕えた漢人官僚の一人。字は士都。東平府須城県の出身。東平府学で教鞭を執った[1]。『宋元学案』では「泰山学案」の末尾に泰山続伝として列せられた人物の一人で、孫復の興した泰山学派の終焉をもたらしたとされる[1]

脚注

参考文献

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