李殷

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李 殷(り いん、生年不詳 - 948年)は、五代十国時代軍人本貫薊州[1]

経歴

後唐荘宗明宗後晋高祖の朝廷に仕え、偏校を順次昇進した。官を歴任して検校司徒となり、各地の刺史をつとめた。沈着温厚な性格で、統治するところ暴虐の評判がなかった。後晋の少帝契丹の侵攻を澶州で防ぐと、李殷は禁軍をつかさどった。少帝が開封府に帰還すると、李殷は鄜州節度留後に任じられた。まもなく検校太保を加えられた[1]開運3年(946年)、義武軍節度使に転じた[2]。赴任にあたって、敵を必ず撃破すると豪語したが、定州に着任すると、率先して契丹に降伏した。のちに契丹に従って鎮州にいたり、耶律解里の命を受けて、契丹の首領の楊安とともに、晋軍を洺水で阻んだ。まもなく楊安が退却すると、李殷は後漢に降った。永清軍節度使となり、検校太傅を加えられた。乾祐元年(948年)、貝州で死去した。太師の位を追贈された[3]

脚注

伝記資料

参考文献

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