李相得

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生年月日 (1935-11-29) 1935年11月29日
出生地 日本の旗 日本 大阪府
没年月日 (2024-10-23) 2024年10月23日(88歳没)
李相得
이상득
2010年
生年月日 (1935-11-29) 1935年11月29日
出生地 日本の旗 日本 大阪府
没年月日 (2024-10-23) 2024年10月23日(88歳没)
死没地 大韓民国の旗 大韓民国 ソウル特別市
出身校 ソウル大学校経済学科
前職 コーロン代表取締役
所属政党民主自由党→)
新韓国党→)
ハンナラ党
親族 李明博(弟)
公式サイト http://www.sdlee.com/
当選回数 6
在任期間 1988 - 2012
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李 相得(イ・サンドゥク、이상득、1935年11月29日 - 2024年10月23日)は、大韓民国政治家実業家である。コーロンの代表取締役を務めた後、政治の道に入り迎日郡浦項市南区選挙区で6回、国会議員に当選した。本貫慶州李氏キリスト教徒[1]

大統領李明博は実弟。また、長女はLGグループ具滋斗の息子と、次女は元科学技術処長官の呉明朝鮮語版の1人息子とそれぞれ結婚した[2][3]

日本大阪府生まれ。終戦直後の1945年10月に一家は密航船に乗って、父親の故郷である浦項へ引き揚げた。韓国で軍人になるために陸軍士官学校に入学したが、のちに進路を変えてソウル大学校経済学科に入学した[4]

1961年、韓国ナイロン(コーロン)公開採用1期出身で、入社した後の1973年に取締役、1975年に常務、1976年7月9日に営業本部長、1977年1月23日にマネージングディレクター、1978年3月6日に副社長、1979年1月4日には社長になった。1981年の平和統一諮問会議の発足時の常任委員として参加し、1983年3月2日、コーロン商事社長となった。

1988年、政治家に転身。国会議員を第13代から第18代まで歴任した。

2011年12月、秘書名義の6つの借名口座からの不正資金が明らかになるなどの問題のため、次期総選挙不出馬宣言をした[5][6]

2012年7月、金融機関や企業から巨額の違法資金を受け取ったとして、斡旋収賄などの疑いで韓国最高検察庁により逮捕された[7]

2013年1月に不法な政治資金を受け取った罪でソウル中央地裁に懲役2年と追徴金7億5750万ウォンを宣告された[8]

2013年9月に満期出所したが、2015年10月にまたポスコにまつわる不正で検察の取調べを受けた[9]

2019年5月に国家情報院特殊活動費と不法資金収受などの罪で懲役1年3か月の刑が確定した[10]

2024年10月23日、入院中のソウル大学校病院で持病により死去。享年89[11]。なお、22日に故郷である浦項市北区興海邑内の旧家の前に建てられた功徳碑の除幕式が予定されたが、本人の健康の悪化により無期限延期となった[12]

学歴

  • 浦項中央小学校
  • 同志中学校
  • 同志商業高等学校
  • 陸軍士官学校中退
  • ソウル大学校経済学科

略歴

  • 1977年1982年 株式会社コーロンの代表取締役を歴任。
  • 1982年1988年 コーロン商事(株)の代表取締役を歴任。
1984年12月から社長となる。

人物

2010年、菅直人内閣総理大臣渡部恒三日韓議員連盟会長と
  • 李明博の兄である地位を利用して色んなことに手をかけたため、あだ名は「万事兄通」(「全てのことは兄に通じる」の意、「万事亨通」の同綴語[10]
  • 几帳面な性格で、何をするにも綿密になさなければ気が済まない。基本的なブリーフィング資料のほか、交渉相手の情報を最大限収集しようと努力するので仲間たちは苦労が多かった。しかし、相手が意図したとおりのスタイルであれば成功する確率が高いため、成果も多かった[14]
  • 韓国の韓日議員連盟会長を務めた。2010年11月には、日韓議員連盟会長であった渡部恒三と共に、当時の菅直人内閣総理大臣を表敬訪問した[15]

受賞

出典

外部リンク

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