李神符 From Wikipedia, the free encyclopedia 王朝 唐家名 隴西李氏字 神符官職 開府儀同三司李神符 唐王朝 唐家名 隴西李氏字 神符官職 開府儀同三司諡号 恭王生年 大象元年(579年)没年 永徽2年(651年)5月父親 李亮 李 神符(り しんぷ)は、唐の宗室。高祖李淵の従弟にあたる。字は神符。 李亮(中国語版)(李虎の八男)の次男。幼くして孤児となり、兄の李神通に謹事した。大業13年(617年)、李淵が太原で起兵したとき、長安にいた李神符は衛文昇に逮捕された。長安が平定されると、光禄大夫に任じられ、安吉郡公に封じられた。武徳元年(618年)に唐が建てられると、襄邑郡王に封じられた。武徳4年(621年)、并州総管に転じた。 東突厥の頡利可汗が辺境を侵すと、李神符は出兵して汾水の東で東突厥と戦い、勝利を挙げた。また沙河の北で戦い、乙利達官を捕らえ、可汗の乗馬と鎧を戦利品として得た。このため太府寺卿となった。武徳9年(626年)、揚州大都督となり、揚州の州府を丹陽から江都の故郡に移転した。貞観初年に宗正寺卿となったが、足の病のため辞職し、太宗の見舞いを受けて羊酒を賜った。小輿に乗って紫微殿に入ることを許可された。まもなく開府儀同三司となった。永徽2年(651年)に世を去り、司空・荊州都督の位を追贈され、献陵(中国語版)に陪葬された。諡を恭とされた。 子女 李仁鑑(広宗郡公) 李徳懋(臨川郡公、刑部尚書) 李義範(広川郡公) 李文挙 李文暕(魏国公、幽州都督、垂拱年間に藤州別駕に左遷され、処刑された) 伝記資料 『旧唐書』巻六十 列伝第十「宗室伝」 『新唐書』巻七十八 列伝第三「宗室伝」 Related Articles