李虞仲

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李 虞仲(り ぐちゅう、772年 - 836年)は、唐代官僚は見之[1][2]本貫邢州柏仁県

大暦十才子のひとりの李端の子として生まれた。詩を得意とした。元和初年、進士に及第し、さらに制策に登第して、弘文館校書郎に任じられた。荊南節度使の下で従事をつとめ、入朝して太常寺博士となり、兵部員外郎・司勲郎中を歴任した。宝暦元年(825年)、考制策に詳しかったことから、考制策官をつとめた。兵部郎中に転じ、知制誥となり、中書舎人に任じられた。大和4年(830年)、華州刺史として出向し、御史大夫を兼ねた。入朝して左散騎常侍に任じられ、秘書監を兼ねた。大和8年(834年)、尚書右丞に転じた。大和9年(835年)、兵部侍郎となった。ほどなく吏部侍郎に転じた。開成元年(836年)4月、死去した。享年は65。吏部尚書の位を追贈された[3][2]

脚注

伝記資料

参考文献

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