李郁

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李 郁(り いく、生年不詳 - 940年)は、五代十国時代官僚宗室は文緯[1]

経歴

若くして宗正寺の官を歴任した[1]後唐天成3年(928年)、太府寺卿・判四方館事から宗正寺卿となった[2]。公平な性格で、毀誉褒貶にさらされることがなかった。後晋天福元年(936年)、高祖石敬瑭が即位すると、李郁は光禄寺卿に任じられた[1]。天福2年(937年)、太子賓客となった[3]。ある日昼寝をしていたところ、夢の中で巨大な棗を食い、目覚めると病にかかった。李郁は「『棗』の字は『來』を重ねたもので、呼魂の象であるとかつて聞いたことがある。余の神気が逼迫抑圧されていて、死を免れることができようか」とその親友にいった。天福5年(940年)夏、死去した。太子太保の位を追贈された[1]

脚注

伝記資料

参考文献

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