李鋭
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毛沢東の秘書を務めた中国共産党幹部。政治の民主化を唱え続けたが、「大躍進運動」を批判し、下放され農場労働に送られた。文化大革命期にも投獄され、その後、地位を回復。1991年に創刊された改革派の雑誌『炎黄春秋』を支持し、改革派の論客として活躍。
晩年は、言論統制を強める共産党指導部に懸念を示し、2010年に他の引退した幹部らと言論の自由を求める公開書簡を発表したほか、2018年のアメリカメディアのインタビューでも習近平政権の統治を批判するなどした。建国直前から約70年以上に渡り、筆記された日記は、共産党一党支配に関する貴重な資料である[1]。
2019年2月16日に101歳で死去。葬儀は北京の八宝山革命公墓で行われたが、外国メディアを排除するなど警戒態勢下の葬儀であった[2]。
経歴

1917年、北京市生まれ。1934年、武漢大学工学院機械系入学。1935年、一二・九運動に参加。1937年、中国共産党に入党。戦時中は延安、東北で青年工作に従事。1952年、湖南省党委員会宣伝部長に任じた後工業部門に移り、大躍進期には水利電力部副部長を歴任。
1958年、毛沢東の秘書となる[2]。1959年、廬山会議で「彭徳懐反党集団」の一員とされ職務解任、党籍剥奪、1966年からの文化大革命期には投獄される。
1979年に名誉回復。1982 ‐ 1984年、中国共産党中央組織部副部長、1982 ‐ 1987年、中央委員、1987 ‐ 1992年、中央顧問委員。1991年より改革派の雑誌『炎黄春秋』の編集顧問[3]。2019年、北京市の病院で死去[4]。享年満101歳。
アメリカ在住の娘がいる。1989年の天安門事件で民主化を求める学生への軍の武力行使に反対し、その後も言論の自由を訴えてきた改革派の重鎮だった[5]。