李難勝 From Wikipedia, the free encyclopedia 李 難勝(り なんしょう、549年 - 570年)は、中国の北斉の廃帝高殷の妃。高殷の生母である李祖娥の姪にあたる[1]。本貫は趙郡柏人県[2]。 李祖勲の娘として生まれた。天保10年(559年)、皇太子妃に立てられた。同年10月に文宣帝が死去して高殷が即位するが、李難勝は皇后に立てられることはなかった。翌乾明元年(560年)8月に高殷は廃位され、済南王に落とされた。李難勝も済南王妃に降った[2]。 皇建2年(561年)、高殷が殺害されると、難勝は出家して尼となり、法名を等行と称した。武平元年(570年)5月14日、妙勝尼寺で死去した。享年22[2]。 脚注 ↑ 羅新 & 葉煒 2005, pp. 195–196. 1 2 3 羅新 & 葉煒 2005, p. 194. 伝記資料 済南愍悼王妃李尼墓誌銘(李難勝墓誌) 参考文献 羅新; 葉煒『新出魏晋南北朝墓誌疏証』中華書局、2005年。ISBN 7-101-04320-8。 Related Articles