村中悠介

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生誕 (1979-07-12) 1979年7月12日(46歳)
日本の旗 日本北海道苫小牧市
国籍 日本の旗 日本
活動期間 2002年 - 現在
むらなか ゆうすけ

村中 悠介
生誕 (1979-07-12) 1979年7月12日(46歳)
日本の旗 日本北海道苫小牧市
国籍 日本の旗 日本
職業 実業家
アニメプロデューサー
活動期間 2002年 - 現在
著名な実績 アニメ『艦隊これくしょん -艦これ-
アニメ『炎炎ノ消防隊
アニメ『プラオレ!〜PRIDE OF ORANGE〜
影響を受けたもの ジーコ
肩書き合同会社DMM.com』最高執行責任者COO
合同会社EXNOA』最高経営責任者CEO
シントトロイデンベルギーサッカー1部リーグ)』会長
DMM VENTURES』インベスター
『株式会社インフラトップ』取締役
『株式会社ONE DAY DESIGN』取締役COO
アビスパ福岡株式会社Jリーグクラブ)』取締役
『DMM TV』総合プロデューサー
親戚 村井忠寛(元アイスホッケー日本代表、元H.C.日光アイスバックス監督)
公式サイト 村中悠介 (@muranaka_yusuke) - X
村中悠介 (muranaka.yusuke) - Facebook
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映像外部リンク
日経テレ東大学
【スペシャル対談生配信】にしたんクリニック社長×DMMのCOOが参戦! - YouTube
映像外部リンク
DMMグループ採用広報 公式チャンネル
学生の皆さんへ~COOメッセージ~【DMM Group】 - YouTube

村中 悠介(むらなか ゆうすけ、1979年7月12日 - )は、日本の実業家アニメプロデューサー。『合同会社DMM.com』最高執行責任者COO、『合同会社EXNOA』最高経営責任者CEO、『シントトロイデンベルギーサッカー1部リーグ)』会長、『DMM VENTURES』インベスター、『株式会社インフラトップ』取締役、『株式会社ONE DAY DESIGN』取締役COO、『アビスパ福岡株式会社Jリーグクラブ)』取締役、『DMM TV』総合プロデューサーである。北海道苫小牧市出身。

2002年平成14年)に『DMM.comグループ』入社。アダルト動画配信事業を始め、電子書籍事業、公営競技事業、アミューズメント事業など数多くの事業を立ち上げ、現DMM.com 全売上の半数近くを作り上げる。

2011年(平成23年)より取締役[1]2018年(平成30年)より最高執行責任者COOに就任。現在はアミューズメント事業、イベント事業、ニューコマース事業、アニメーション事業、公営競技事業、フットボール事業、MVNO事業、オンラインサロン事業、VAPE事業、経営企画室、他40以上の事業を横につなげ、数値管理をしながらシナジーを起こす[2]。DMM.comではナンバー2のポジション[3]

その後、『合同会社EXNOA』最高経営責任者CEO[1]、『シントトロイデンベルギーサッカー1部リーグ)』会長、『DMM VENTURES』インベスター、『株式会社インフラトップ』取締役、『株式会社ONE DAY DESIGN』取締役COO、『アビスパ福岡株式会社Jリーグクラブ)』取締役、『DMM TV』総合プロデューサーを兼任。

経歴

幼少期~学生時代

1979年昭和54年)北海道苫小牧市生まれ。両親ともども会社員で共働きをしていた[4]

小学校5年生から学校の部活動でサッカーを始め、中学・高校とサッカー部に所属。毎日、部活動に励み、アイスホッケーも掛け持ちするようなスポーツ青年だった[4]

1991年Jリーグ発足の1年前の1990年平成2年)小学校6年生のとき、苫小牧市のサッカー場に住友金属(後の鹿島アントラーズ)のジーコが訪れて町中が大騒ぎ、ジーコの生のプレイをみて感動した。サインも貰った。後にサッカー事業に力を入れたいと思う動機にも繋がる。また4才上の従兄で元アイスホッケー日本代表のH.C.日光アイスバックス監督を務めた村井忠寛(ただひろ)[5]の影響も多大に受ける[4]

中学はサッカー部に所属。ジーコの背中を追いかけサッカー漬けの毎日で、地元の工業高校建築科へ進学、サッカー部の道を選んだ[4]

2002年(平成14年)コンビニで求人雑誌「doda(デューダ)」を見ていたところDMM.comグループ会社の求人を目にする。7人程度の規模の会社で入社する。動画配信事業に配属され、全国店舗に映像コンテンツを卸す営業に就く。入社2年目にはエリアマネージャーを担当[4][6]

2004年(平成16年)DMM.comができたタイミングで社内公募があり、創業者の亀山敬司の助言でデジタルメディアマート(のちの合同会社DMM.com)へ転籍する。当時のDMM.comは10人も満たないヲタクだらけの集団だった。東京にあるDMM.comと、石川県にあるDoogaを兼務。転籍初日の仕事は当時の代表取締役社長・松栄立也の引っ越しだった。3ヶ月のお試し期間が終わった後、子会社に戻ろうか会長の亀山に相談しに行ったところ「外で2時間、考えてから来い」と忠告を受け、決心を固めた。その後、レンタル、動画、通販、同人、電子書籍などコンテンツホルダーに許諾を取る営業を担当。並行して伸びそうなサービスを自分で考え、動画定期配信サービスを立ち上げた。営業とPM(プロジェクトマネージャー)を1人で兼務、心身ともに鍛えられた[4][6]

転機~事業責任者~COO

2005年(平成17年)DMM.com初のライブ配信事業を担当。総合格闘技PRIDE」とライブ配信を交渉。翌年の2006年(平成18年)末に大会を配信、1人でプロデュースを担当した。2007年(平成19年)「PRIDE」と合わせ、打撃系格闘技イベント「K-1」のライブ配信も成功させる[7][4]

2008年(平成20年)「X JAPAN 伝説の復活ライブ」の独占配信を成功させる。契約交渉からウェブサイト制作まで全て担当した[8]。同年、事業部化され、事業部長に就任。動画事業のPM(プロジェクトマネージャー)をしながら契約交渉、金額交渉、ウェブ制作全てを担当する。2009(平成21年)PS3向け動画配信サービス「DMM.TV for Blu-ray Disc」を開始[9][4]

2010年(平成22年)「ポイントオークション」、アイドル公演生配信「AKB48 LIVE!! ON DEMAND」リリースを担当。2011年(平成23年)DMM.com取締役に就任。DMMマネーカード(現「DMMプリペイドカード)、コンビニでの「DMMギフト券」取り扱い、2012年(平成24年)チャリロト取り扱い開始(現「DMM競輪」)[4][6]

2017年(平成29年)シントトロイデンベルギーサッカー1部リーグ)の経営権を取得し会長に就任[10][11]。アニメーションレーベル「DMM pictures」を設立し、数々のアニメ作品の製作、企画に携わる[4]

2018年(平成30年)合同会社DMM.com 最高執行責任者COOに就任、No.2のポジションを任される[3]。株式会社インフラトップを買収し取締役に就任し、プログラミングスクール「DMM WEBCAMP」をスタート。コーポレートベンチャーキャピタル「DMM VENTURES」を立ち上げる[4][12]

2019年令和元年)合同会社EXNOA 最高経営責任者CEOに就任。ゲームプラットフォーム「DMM GAMES」を成長させる[4][13]

2021年(令和3年)朝日放送グループホールディングス株式会社との合弁会社である株式会社ONE DAY DESIGN 取締役COOに就任。インターネットとTV通販を融合した新規事業を開始[14]。同年、アビスパ福岡株式会社Jリーグクラブ)の一部株式を取得し、取締役に就任[15][4][16]

2022年(令和4年)新たな動画配信サービス「DMM TV」総合プロデューサーに就任[17]

人物

  • 父の影響でアニメ漫画ゲーム好き。特に『沈黙の艦隊』『ドラゴンボール』とサッカーゲーム好き[18]
  • 若い頃はサニーデイ・サービスの音楽が好きで、苦労時に何度も助けられた[18]
  • 苫小牧市時代は人と同じことをするのが嫌いだった。友達がみんなB'zを聴いていたら「みんな聴いているので嫌い」という少年時代だった。故郷を飛び出たい反動が反骨精神を生み、みんなが聴いていない洋楽を探し回っていた[18]
  • 好きな言葉は「やらない後悔より、やって後悔したほうが良い」。若いときに滅茶苦茶、怒られたせいで「まあ死なないしなぁ」と開き直れた[18]

主な担当作品

テレビアニメ

出演

テレビ

ラジオ

インターネット放送

新聞

脚注

関連項目

外部リンク

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