杜正玄

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杜 正玄(と せいげん、生没年不詳)は、文人官僚は慎徽[1]、または知礼[2]本貫京兆郡[1][3]

杜裕(字は慶延)の子として生まれた。文学を教授する家にあって、最も聡明で、書物を広く渉猟し、その多くに通じた。開皇15年(595年)、秀才に挙げられ、尚書が方略について試験すると、正玄は打てば響くように応答し、筆を下して文章を成した。尚書僕射の楊素は才能を自負して物に傲っていたので、正玄が抗弁応答して屈することがないのを、気に入らないでいた。長らくを経て、ときに林邑が白い鸚鵡を隋の朝廷に献上すると、楊素は正玄を促して召し出し、林邑の使者と対面させることにした。正玄がやってくると、すぐさま賦を作らせた。正玄はにわかに筆をとって白い鸚鵡の賦を書き上げた。楊素はその文を見て修正すべき点を見出せなかった。さらに楊素が雑文十数条を書くよう命じると、正玄はみな書き上げ、いずれも言葉の道筋が立ち、その文章は華やかで意味は豊かであった。楊素は感嘆して「これは真の秀才である。わたしの及ぶところではない」といった。晋王楊広揚州に駐屯して府僚を選抜すると、正玄は晋王行参軍に任じられた。仁寿元年(601年)、豫章王楊暕が揚州に駐屯すると、正玄は豫章王記室となった。のちに在官のまま死去した[1][4]

弟に杜正蔵[1][5]・杜正儀・杜正倫[6]があった。

脚注

伝記資料

参考文献

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