杜鴻漸 From Wikipedia, the free encyclopedia 杜 鴻漸(と こうぜん、708年 - 769年)は、中国唐代の政治家。字は之巽[1]。濮陽に生まれる。 仏教を信仰し、死に臨んでは儒教の伝統である土葬をせずに、火葬を選択した。 祖父は杜慎行、益州長史。父は杜鵬挙[2]。杜鴻漸は杜暹の族子です[3]。 略歴 708年、濮陽に生まれる 科挙に合格して延王府の参軍となる。朔方判官に異動[4] 756年、安史の乱が起き、魏少游らと共に朔方軍を率いて皇太子李亨(後の粛宗)に加勢 粛宗を即位させ、兵部郎中、中書舎人となる 武部侍郎、河西節度使、荊南節度使を歴任 759年、襄州で反乱が起き、長安へ退避 尚書右丞、太常卿に転任。陵墓整備の功績で衛国公となる 764年、兵部侍郎、中書門下平章事(宰相)となり、中書侍郎に昇格 765年、蜀で反乱が起き、成都尹、山南西道剣南東川副元帥、剣南西川節度副使となり、反乱軍を説得して混乱を収拾 769年、門下侍郎、東都留守、河南淮西山南東道副元帥となるが、病気で辞退し、その後、亡くなる。太尉を追贈される 伝記 『旧唐書』巻108 『新唐書』巻126 脚注 ↑ 『新唐書』巻126:暹族子鴻漸。鴻漸字之巽。 ↑ 『新唐書』巻126:父鵬挙,與盧蔵用隠白鹿山,以母疾,與崔沔同授医蘭陵蕭亮,遂窮其術。歴右拾遺。玄宗東行河,因遊畋,上賦以風。終安州刺史。 ↑ 『旧唐書』巻108:杜鴻漸,故相暹之族子。祖慎行,益州長史。父鵬挙,官至王友。 ↑ 『旧唐書』巻108:鴻漸敏悟好学,挙進士,解褐王府参軍。天宝末,累遷大理司直,朔方留後、支度副使。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。表示編集 この項目は、中国の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:中国/P:歴史/P:歴史学/PJ中国史)。表示編集 Related Articles