来栖三郎 (法学者)
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学説
専攻科目の民法では主に広範な社会的事象の調査を基に、契約法や家族法の研究に関して多大な功績があった。その代表例が1974年に完成した『契約法』(有斐閣)である。
さらには,広範な社会的事象の観察や判例研究を通じて、1953年の日本私法学会の席上で報告書「法の解釈と法律家」を提起し、社会的・政治的文脈に基づく法解釈の多様性を主張した。この事が、法解釈の「客観説」(つまりは法解釈には客観的に正しいものがある、という考え)を主張する家永三郎や田畑忍との間で第一次法解釈論争を引き起こすこととなる。
しかし、来栖自身はケルゼンの弟子で純粋法学の視点から規範と事実との徹底的な峻別にこだわる立場をとる法哲学者碧海純一とは異なり、現実社会における事実とフィクションとしての法解釈の間に生ずる緊張関係に始終注目し、1972年に東京大学を退官した後は、彼の民法学の分野における研究上の功績を学部の売りにしたい数多の大学の法学部からの教授就任要請を断固拒否し、もっぱら個人で法解釈や法哲学の分野のみならずキリスト教神学や自由意志、文学、社会契約論にまで至る広範な範囲に射程を有する壮大なフィクション研究に没頭することとなる。その研究成果は、彼の思想上の後継者である村上淳一、木庭顕等によって1999年に『法とフィクション』(東京大学出版会)にまとめ上げられた。