永正年間(1504年~1521年)、北畠材親によって松ヶ島城下に創建された[1]。
天正16年(1588年)、蒲生氏郷の松阪城築城に伴って城下の現在地に移転した[2]。
享保元年(1716年)の松阪大火では、表門(現在の裏門)を除いて焼失したが、豪商三井家などの尽力により、8700両の費用をかけて再興された[3]。
江戸時代の国学者である本居宣長は、来迎寺の僧・戒言(かいごん)を門人としていた。戒言は宣長の奈良への旅に同行したほか、宣長の源氏物語講釈に参加したり、寺で花見・月見・紅葉等の歌会を開いたりしたという[4]。