角屋七郎兵衛
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伊勢国飯高郡松阪・湊町の廻船問屋、第2代角屋七郎次郎忠栄の次男として生まれた[2][3]。朱印船貿易に携わる貿易家となった七郎兵衛は寛永8年(1631年)、安南(現在のベトナム)に渡った。だが、その2年後に鎖国令が出たため七郎兵衛は二度と日本に戻ることはなく、生涯を安南で過ごすこととなった[2]。鎖国下にあっても伊勢への家族や親類には書状で連絡を取り、伊勢神宮や松阪城下の寺社へも寄進し続けたという。また、安南中部の町・会安(ホイアン)にあった日本人街の長も務めた[2]。死後の1928年(昭和3年)には従五位を贈位された[4]。 七郎兵衛とその一族の慰霊碑は現在も三重県松阪市白粉町の来迎寺に残されており、松阪市の市指定文化財にもなっている[2]。

