東の沢村、西の景浦
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沢村栄治と景浦将の2人である[1]。この2人は日本のプロ野球の黎明期においての最大のスターである。日本のプロ野球とは、この2人が投げて打って始まったとも言われている[2]。
沢村と景浦の対決が注目を浴びていたためにこのように言われていたのであった[3]。沢村と景浦の2人の対決がファンを魅了していた。1936年の優勝決定戦の第1戦では、景浦は沢村からホームランを打ち、その打球は外野上段とも場外の海まで飛んだとも語り継がれている[4]。これは日本のプロ野球での初の日本一を決める試合であり、そこでの日本一は2人の対決で勝った阪神ではなく巨人であったものの、この2人の対決は伝説となっている[5]。このホームランを打った打席付近ではボールの焦げたにおいがしたや、確執があったためにボールを追わなかったなどと語り継がれている。このホームランを打った景浦は、ベンチに向かって指を一本立てながらベースを一周して、10円いただきという念を押していた[6]。
後の時代では「東の長嶋、西の村山」や「東の王、西の江夏」などといったライバル対決が行なわれるのであるが、「東の沢村、西の景浦」はこれらのようなライバル対決の原型である。1984年のプロ野球50周年の際には、この2人の記念切手が発売されている[7]。
脚注
- ↑ 寺尾博和. “プロ野球創生期の「東の沢村」「西の景浦」はともに戦死 先人悼み、平和かみしめたい/寺尾で候 - プロ野球 : 日刊スポーツ”. nikkansports.com. 2026年4月4日閲覧。
- ↑ “豪放磊落な戦前最強スラッガーは痩せ衰えた姿でフィリピンの密林に消えた...“第0代ミスター・タイガース”景浦将の生と死”. スマートニュース. 2026年4月4日閲覧。
- ↑ “大谷翔平だけではない 「元祖二刀流」で大記録を達成した選手は | 野球コラム”. 週刊ベースボールONLINE. 2026年4月4日閲覧。
- ↑ Company, The Asahi Shimbun. “元祖「エースで4番」 景浦将 - ことばマガジン:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル. 2026年4月4日閲覧。
- ↑ 寺尾博和. “プロ野球創生期の「東の沢村」「西の景浦」はともに戦死 先人悼み、平和かみしめたい/寺尾で候 - プロ野球 : 日刊スポーツ”. nikkansports.com. 2026年4月4日閲覧。
- ↑ “戦火に散ったアスリート12”. 2026年4月4日閲覧。
- ↑ op01 (2026年1月4日). “「100年の道のり」(96)プロ野球の歴史-(菅谷 齊=共同通信) | 東京プロ野球記者OBクラブ”. 2026年4月4日閲覧。