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東与賀町

日本の佐賀県佐賀郡にあった町 From Wikipedia, the free encyclopedia

東与賀町(ひがしよかちょう)は、かつて佐賀県の南部にあった町で、佐賀郡に属していた。2007年(平成19年)10月1日付で佐賀市に編入され、「佐賀市東与賀町」となった。

廃止日 2007年10月1日
廃止理由 編入合併
川副町・東与賀町・久保田町→佐賀市
現在の自治体 佐賀市
国 日本の旗 日本
概要 ひがしよかちょう 東与賀町, 廃止日 ...
ひがしよかちょう
東与賀町
東与賀海岸(東よか干潟・干潟よか公園)
東与賀海岸(東よか干潟・干潟よか公園)
東与賀町旗
東与賀町旗
東与賀町章
東与賀町章
東与賀町旗 東与賀町章
廃止日 2007年10月1日
廃止理由 編入合併
川副町・東与賀町・久保田町→佐賀市
現在の自治体 佐賀市
廃止時点のデータ
国 日本の旗 日本
地方 九州地方
都道府県 佐賀県
郡 佐賀郡
市町村コード 41303-8
面積 15.39 km2
総人口 8,203人
(推計人口、2007年9月1日)
隣接自治体 佐賀市・川副町
町の木 マツ
町の花 サクラ
東与賀町役場
所在地 〒840-2221
佐賀県佐賀郡東与賀町大字下古賀1193番地

佐賀市役所東与賀支所(2017年撮影、旧東与賀町役場庁舎)
外部リンク 東与賀町( 2007年9月26日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project
座標 北緯33度12分30秒 東経130度17分19秒

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大授搦干拓地の裏作麦畑
授産社搦の石積み干拓堤防跡
東よか干潟ビジターセンター・ひがさす
冬の東よか干潟のハマシギの大群
東与賀文化ホール

地理

佐賀市の南隣に位置しており、南側は有明海に面する。町域の大半が江戸時代から第二次世界大戦後まで続けられた干拓によって造成された土地で、最高点でも海抜2.8mしかない低平地であり、起伏がほとんどない地形である。人家は町の北部に多い。

  • 河川: 八田江

隣接していた市町村

歴史

行政区画の変遷

1868年(明治初年)時点[3]1889年 -1966年 -2005年 -
佐賀郡飯盛村佐賀郡東与賀村大字飯盛佐賀郡東与賀町同左佐賀市東与賀町大字飯盛
下古賀村大字下古賀東与賀町大字下古賀
田中村大字田中東与賀町大字田中

産業

干拓農地における米やいちごの生産を中心とした農業が主産業。

また有明海に面していることから海苔養殖が有名である。

地域

教育

小・中学校

交通

空港

最寄り空港は佐賀空港。

鉄道

町内を鉄道路線は通っていない。最寄り鉄道駅はJR九州長崎本線佐賀駅。

バス

道路

国道

県道

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

  • 干潟よか公園 - 東与賀海岸に隣接。遊具、水遊び場、草スキー場、農具などを展示する復元古民家などがある。
  • シチメンソウ群生地 - 公園南隣、東与賀海岸の堤防外側。国内最大の群生地で、11月頃に紅く色づく。
  • シチメンソウまつり - シチメンソウ紅葉シーズンの11月頃行われる。
  • 行幸記念碑(昭和天皇最後の行幸地) - 公園南隣、東与賀海岸の堤防に所在。また、近くには昭和天皇と明仁天皇がこの地の情景を詠み表した短歌を記した御製碑(歌碑)が所在。
  • 干潟ギャラリー
  • 東よか干潟 - 公園南隣、東与賀海岸。2015年にラムサール条約に登録された水鳥の飛来地。
  • 松土居公園 - 飯盛字大野。保全再生された「松土居」(江戸時代の干拓地を囲む海岸堤防で、松が植えられた)の一角にある公園。
  • 東与賀銭太鼓 - 明治後期、島根県の出雲地方から今町地区や船津地区に伝わったとされる民俗芸能。戦後衰退したが、1991年(平成3年)に発足した「東与賀銭太鼓を育てる会」が伝承を続け、町内外の行事で披露されている。佐賀市の重要無形民俗文化財に指定[4]。
  • 大搦堤防・授産社搦堤防(おおがらみ・じゅさんしゃからみていぼう) - 明治前期から中期に建設された石積みの干拓堤防。後に外側が干拓され、現在は二線堤[注 1]や盛土道路となった。当時の歴史・技術を物語る景観がよく保存されていることから2003年に土木学会選奨土木遺産に選定、また2009年に「佐賀市景観賞」を受賞[5][6][7]。

東与賀町出身・在住の有名人

東与賀町出身

東与賀町在住

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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