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東宮

皇太子の居所、転じて皇太子そのもの From Wikipedia, the free encyclopedia

東宮(とうぐう・みこのみや)、あるいは春宮 (しゅんぐう・はるのみや)とは、皇太子の居所、つまり住居する場所を意味し、転じて、皇太子そのものを意味する言葉にもなった。

概説

中国では古代から、東にも春にも五行思想での「若い」という意味があり、また易経では東を『震』=長男とすることから、皇太子の住居を皇居の東に配したことに由来する。

古代日本の史料における東宮春宮の初見は、『日本書紀』巻第二十一の

是の皇子(=厩戸皇子)、初め上宮(かみつみや)に居(ましま)しき。後(のち)斑鳩(いかるが)に移りたまふ。豊御食炊屋姫天皇(とよみけかしきやひめのすめらみこと)(=推古天皇)の世(みよ)にして東宮(みこのみや)に位居(ましま)[1]

であり、さらに『日本書紀』巻第三十には

直広壱(ぢきくゎういち)当麻真人国見を以て東宮大傅(みこのみやのおほきかしづき)とす。直広参(ぢきくゎうさむ)路真人跡見をもて春宮大夫(みこのみやのつかさのかみ)とす。直大肆(ぢきだいし)巨勢朝臣粟持(こせのあそみあはもち)をもてとす[2]

とある。同年には無遮大会を東宮に設けた[3]、ともある。

職司として、皇太子の輔導を管掌とする東宮傅、及び東宮学士があり、東宮職に属した。また皇太子の宮の内政を取り扱う役所を春宮坊といい、その付属機関として三監・六省を配下に置いた。

南北朝時代から江戸時代中期にかけては、次期皇位継承者たる東宮が決定されている場合であっても、「皇太子」にならないこともあった。これは、当時の皇室の財政難などにより、立太子礼が行えなかったためである。通例であれば、次期皇位承継者が決定されると同時に、もしくは日を改めて速やかに立太子礼が開かれ、次期皇位継承者は皇太子になる。しかし、立太子礼を経ない場合には、「皇太子」ではなく、「儲君(ちょくん、もうけのきみ)」と呼ばれた。

南北朝時代において、南朝では最後まで曲がりなりにも立太子礼が行われてきたとされている。これに対して、北朝においては、後光厳天皇から南北朝合一を遂げた遙か後の霊元天皇に至るまで、300年以上に亘って立太子を経ない儲君が皇位に就いている。

脚注

参考文献

関連項目

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