東山手
長崎市の町
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歴史
現在の南山手は、江戸時代までは戸町村大浦郷の雄浦と呼ばれていた土地であった[5]。1858年(安政5年)の安政五カ国条約締結による長崎港開港後、1860年(万延元年)より長崎市内で最初に外国人居留地となった地域である[6][7]。その際に、外国人居留地の東側の山手に位置していたことから、東山手の地名がつけられた[8]。 丘陵地である当地は、居留地として開発された直後は主にアメリカやイギリスの貿易商の借地として利用されていた[8]。その後、湾の埋め立てにより外国人たちは海岸部に移り、当地はアメリカとポルトガルの領事館が開設され、領事館の丘とも称された[8][9]。領事館の撤退後にはミッション系の学校が開設され、これらは今日も活水学院や海星学園といった形で現存している[9]。
