オランダ坂
From Wikipedia, the free encyclopedia
歴史
1857年(安政4年)、欧米列強との通商条約締結を前に、幕府は長崎に隣接する大浦湾(雄浦)周辺に外国人居留地の開設を計画し、湾の大規模な埋め立てなどの大規模な造成工事を経て、1860年(万延元年)より諸外国に貸し出された[6][7][8]。開設された居留地は、湾を埋め立てて出来た広大な平地(大浦)と、それを南北に挟み込む丘陵地(東山手・南山手)からなり[9]、平地と丘陵地の間は、五島列島や天草地方から取り寄せられた砂岩の石畳の坂道で結ばれた[2]。欧米から来た外国人らは、見晴らしの良い高台に邸宅を構えた[5]。当時の長崎の人々は、欧米の諸外国の人々を「オランダさん」とよんで親しんでいたことから、自然に高台の邸宅に続く坂道を総称して「オランダ坂」と呼ぶようになったといわれる[5][10]。
昭和30年代以降は、モータリゼーションの急速な進行の影響による石畳の劣化やアスファルトによる舗装化が進んだことから[11]、1985年(昭和60年)から翌年にかけて復元工事が行われ、道路横に憩いの場として小公園を設置した[10]。1986年(昭和61年)8月10日の道の日に、旧建設省と「道の日」実行委員会により制定された「日本の道100選」にも選定されており[12]、顕彰碑はこの小公園内に建立されている[10]。


