東洋的近世
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- 緒論 東洋近世史の意義
- 西洋史は古代・中世・近世に分類される。中国史では漢帝国までが古代、以後の分裂時代が中世、宋の天下統一からが東洋的近世である。
- 1 世界と東洋との交通の概観
- 中国と西アジアは、陸路と海路で結ばれていた。長安は西方からの陸路の関門であり、海上交通の中国の起点は広東だった。隋の時代に大運河で長安と広東が結ばれ、世界的循環交通路の一環となった。
- 2 中国近世の社会経済
- 中世の自給自足経済から交換経済へ変化し、農業生産が商品化する。生産が分業化、品質改良される。荘園を耕作する部曲(隷農)は、自由民の佃戸(小作人)になった。
- 3 中国近世の政治
- 五代に貴族が没落し、宋代には独裁君主政体が確立した。 官僚は科挙で選ばれる。最終的に殿試で天子が選ぶので、官僚は天子に忠実だった。 この新貴族階級は士大夫と呼ばれる。
- 4 東洋近世の国民主義
- 遼は契丹文字を、西夏は西夏文字を、金は女真文字を作り、それぞれの国民主義が起こった[注 1]。 一方漢民族の国民主義には攘夷思想が加わった。
- 5 近世の文化
- 唐までの儒教は訓詁学だった。一方宋学はより自由に経書の本質を追求する。 文学では駢儷体文を否定し白話(口語)文学が隆盛。 水墨画の技法による山水画は、色彩よりも線の面白さを追求する。
- 結語 東洋の近世と西洋の近世
- 中国の近世は西洋の近世に先んじた[注 2]。羅針盤、火薬、印刷術は東洋に起源を見出しうる。一方、後発文明圏であった西洋は、産業革命以後に最近世となり、世界を先進した。
内藤湖南の影響
論争
評価
礪波護によると、1950年代半ばにおける日本の東洋史学の発達史を総括した松本善海(東京大学)は、1920年前後の時期に、ページのみいたずらに多い教科書的・参考書的概説書の氾濫の外にあって、一応の史観をもって書かれた概説書として、稲葉岩吉の著書『支那政治史綱領』をあげている[4]。そして、時代区分法を樹立したこれらの新しい見解が学界においては有力となっても、日本における東洋史学が容易に概説書のスタイルを変えなかったのは、それが中国史に限られていて、同じ形で東洋全般を捉えることができなかったためであり、そこまでへの展開には、宮崎市定の著書『東洋的近世』の出現を待つ必要があった、と述べている[4]。