東洋航空工業
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1952年(昭和27年)、対日講和条約の発効に伴い一時禁止されていた航空機製造が解禁されるのを受けて、戦前に九七式や二式大艇など飛行艇を中心に多くのヒット作を生んだ川西航空機の元役員らが中心となり設立。川西航空機の直接の後身である新明和興業とは別の道を歩みだした。
→「川西航空機 § 東洋航空工業へつながる系譜」、および「新明和工業 § 概要」も参照
戦後日本の国産機として第2号となるTT-10を製造。またアメリカ合衆国のフレッチャー FD-25の生産ライセンスを獲得した。6機を生産して、いずれも東南アジアに輸出した。
しかし、設立当初より経営が安定せず、思ったように受注を獲得できなかった上発足したばかりの保安隊、後の自衛隊(海上自衛隊・航空自衛隊)にも制式採用されず社業は停滞。1964年(昭和39年)に藤沢飛行場を供用廃止とし、跡地は荏原製作所に売却した。1969年(昭和44年)、臨時株主総会で解散を決議し清算法人に移行した。