東田直樹
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略歴
東田が普通の子とはどうも違うと悩んだ母親の美紀は、阿部秀雄の抱っこ法セッションへ連れて行き、阿部に株式会社エスコアールを経営母体とする君津市の発達障害者支援施設「はぐくみ塾」[4]を紹介された。抱っこ法は親などが子どもを強く抱きしめ目を合わせることで親子の絆を修復することを目的とした手法であるが、科学的根拠は乏しく安全性・有効性ともに不明であり身体拘束による心理的・身体的リスクもあるため、使用せぬよう注意喚起されている[5][6][7][8][9]。東田の最初の著作とされる2004年エスコアール社刊行『自閉というぼくの世界』に阿部は推薦のことばを寄せ、「なおきくんがこの文章を書くのに使った方法」は親しい人が手を添えて(あるいはキーボードを使う)書く方法であり、「なおきくんがこの方法で自分を表現できるように手引きをした人が、はぐくみ塾の鈴木敏子先生です」[10]、「この種の表現支援方法をめぐってアメリカでは、介助者が書かせているのにきまっている、いや百パーセント本人が書いている、といった賛否両論がやかましい」[11]と述べている。東田は自閉症の診断を受ける前の4歳のときはぐくみ塾に初来塾した[12][13]。はぐくみ塾の塾長は、科学的に妥当性を証明されていない、最も科学的信憑性に欠けたコミュニケーション介助法として知られているファシリテイテッド・コミュニケーション[14][15][16][17]について、「筆談(FC)を盲信でもなく否定でもなく進めていきたいと考える一人です」と述べており、ファシリテイテッド・コミュニケーション推進派の一人である[18]。はぐくみ塾で東田に用いられた「筆談」は、鉛筆を持つ子どもの手を介助者が自分の手で包み、抱きかかえるようにして文字を書かせるという抱っこ法の指導過程から発展したものである[19][20][21][22]。『奇跡の詩人』に見られるドーマン法に導入されたファシリテイテッド・コミュニケーションとは別経路ではあるが、いずれも1990年代の日本で「筆談援助」などの名称で流布したファシリテイテッド・コミュニケーションの一形態である[22]。東田の代表作である『自閉症の僕が跳びはねる理由』の英語版『The Reason I Jump』[23]に示された筆談方法の記述はファシリテイテッド・コミュニケーションの方法と酷似していると指摘されている[24]。ファシリテイテッド・コミュニケーションに好意的な精神科医の山登敬之は、『喋れなくても言葉はある わからなくても心はある』というタイトルで日本児童青年医学会機関誌に発表した東田のコミュニケーションを擁護する意見文において、「カナー型の重度の自閉症でありながら、みずからの努力で言葉による自己表現を可能にした。4歳の頃から、facilitated communication(FC)によるトレーニングを重ね、文字を書いて意思を伝える力を身につけた」と主張し、ファシリテイテッド・コミュニケーション使用で知られるビルガー・ゼーリン、イアン・マーティン・ドラモンド、ティト・ ラジャルシ・ムコパディヤイが「東田氏と同じようにFCを経て自身の言語表現、コミュニケーションを可能にしている」と主張した[25]。
はぐくみ塾で抱っこ法のセッションを受けていた東田は、塾長との間で筆談が可能となり、その後、母親の美紀との間でも筆談が可能となったが、専門家や医師に筆談をやっているところを見せても理解はされなかった。筆談は現代医療の中で信用されていないことを知った美紀は、「私は筆談を信じている。というか信じたいと思っていました。」と心情を綴っている[12]。筆談は紙と鉛筆がないとできないことから、手のひらに文字を書く指筆談で会話するようになったが、美紀が少しでも手を離すと直樹の書く手は止まってしまった。東田の文字盤以外のコミュニケーション方法とされる指筆談とは「人差し指で介助者の手のひらに書いたり、机に書いたりしてコミュニケーションを行う方法」[22]であり[26]、「FCには、タイピングや文字盤ポインティング、指筆談などの方法がある」[27]とされており、ファシリテイテッド・コミュニケーションに分類される方法のひとつである[22][25][27][28]。
美紀はファシリテイテッド・コミュニケーションとの出会いを回想し次のように述べている[29]。
その頃、はぐくみ塾でも直樹に抱っこ法や発話の訓練をしていく中で、外国にもFC(Facilitated Communication)という方法でパソコンで介助してもらいながらコミュニケーションしている人たちがいることを伺いました。FCは介助者が最初は介助する人の肘などを持って援助するのですが、介助する手をだんだんと肩や背中などの腕から遠い所に離していくことで、FCを行っている人の中には最終的にひとりでパソコンが打てるようになった人がいる、という内容でした。
その後、家でファシリテイテッド・コミュニケーションをパソコンを使って試してみたがうまくいかず、自作の文字盤を使ったコミュニケーション法を考案した。成長とともに小学6年生になってからは、パソコンでのファシリテイテッド・コミュニケーションが可能となった[12]。美紀はファシリテイテッド・コミュニケーションのトレーニングについて、「本人が指す文字を迷ったり混乱したりしているのがわかったら、そっとその文字がある方向に体を押して文字を選択する範囲を狭くし、選ぶ文字を思い出させるなど、直樹が自信を失わずに毎日の練習ができるように工夫しました」とも述べている[30]。
2004年、東田を著者とする最初の書籍『自閉というぼくの世界』[31]がエスコアール社より刊行され、2007年には、東田が13歳のときに書いたとされる著作『自閉症の僕が跳びはねる理由』が同じくエスコアール社により刊行された。2007年、NHK福祉ネットワークが「ボクの生きる“自閉症の世界”」で[32]、2008年にはテレビ東京が「僕の心の言葉をきいて〜自閉症の少年詩人 自立への道〜」で東田の特集番組を放送した[33]。
2008年には、「ダグラス・ビクレン&東田直樹ジョイント講演会」(アムウェイ、エスコアール協賛)が開催された[34][35][36]。ビクレンはオーストラリアで開発されたファシリテイテッド・コミュニケーションを米国に紹介し、シラキュース大学ファシリテイテッド・コミュニケーション教育推進機関(Facilitated Communication Institute/Institute on Communication and Inclusion/Inclusion and Communication Initiatives)を設立しファシリテイテッド・コミュニケーションを全米に広めた人物である[37][38]。ビクレンは「ファシリテイティッド・コミュニケーション(FC)とは? -あると思わなければ見つけられないもの-」、東田と美紀は「自分の気持ちを伝えるということ」という演題で講演を行った[34]。はぐくみ塾の塾長であった鈴木敏子も筆談援助の会代表としてパネリストとして登壇した[34]。鈴木は2005年に「筆談援助の会」を立ち上げ[39][40]、はぐくみ塾は2007年に閉塾している[41]。2009年、東田は東京大学大学院教育学研究科臨床心理学コース主催の公開シンポジウム「自閉症者が語る自閉症の世界」に登壇し、ビクレンの講演後、自閉症の診断を持つファシリテイテッド・コミュニケーションユーザーであるラリー・ビショネット、トレーシー・スレッシャーとともにファシリテイテッド・コミュニケーションのタイピングを披露した[42][43]。シンポジウムにはビショネットとスレッシャーが共同主演したファシリテイテッド・コミュニケーションプロモーション映画として知られる『Wretches & Jabberers』の撮影が入り、東田も出演している[42][44][45]。ビショネットによって書かれたとされる文章によると、東田がビショネットに電子メールを送ったことからふたりはつながり、ビショネットが東田にセルフアドボカシーの概念を教えるなどメンターとしての役割を果たしたとしている[46]。
2013年、『自閉症の僕が跳びはねる理由』(2007年)が、英国のベストセラー作家デイヴィッド・ミッチェルとケイコ・ヨシダよって英訳され『The Reason I Jump』として発売された。『The Reason I Jump』は世界33カ国で翻訳出版され[47]、2022年までに累計120万部を超える世界的ベストセラーとなった[48]。2014年にはNHKが東田のドキュメンタリーを放映した[49]。『The Reason I Jump』出版を契機に2014年にはファイン&神尾によるコメンタリーが発表され[24]、『The Reason I Jump』が長年にわたる自閉症研究が科学的に積み上げてきた知見を誤りであると主張し、言語に困難を伴う重い自閉症は実は単なる運動障害であり本当は当事者の内面には定型発達者と変わらない高度な知性と言語が流れている等の奇跡を主張するなら、東田のオーサーシップの検証試験を実施し主張を証明する必要があろうと批判と懸念が表明された。東田とファシリテイテッド・コミュニケーション使用に関する世界的批判と懸念が相次ぎ[50][51][52][53][54][55][56][57]、ファシリテイテッド・コミュニケーションのトレーニングを通して東田が自立したタイピングを達成したと主張しつつ母親が常に東田にキューイング可能な範囲内にいる点が指摘され、東田の言葉が奪われ他者の言葉を東田が言っていることにされる等の障害者虐待が懸念されている[51][58]。
世界的ベストセラーとなった2013年以降、東田を著者とする著作物からは、2005年刊行の書籍[12]にあった「FC(ファシリテイテッド・コミュニケーション)」、「抱っこ法」、「はぐくみ塾」、「鈴木さん」といった記述はなくなり、2007年刊行の初版『自閉症の僕が跳びはねる理由』のまえがきにあった「僕は、会話はできませんが、幸いにも、はぐくみ塾の鈴木さんとお母さんとの訓練で、筆談というコミュニケーション方法を手に入れました」という記述は、2016年にKADOKAWAにより刊行された文庫版『自閉症の僕が跳びはねる理由』[59]においては「はぐくみ塾の鈴木さんとお母さんとの」が削除され「僕は、会話はできませんが、幸いにも、訓練で、筆談というコミュニケーション方法を手に入れました」[60]という記述に変更されている。当時東田が執筆していたとされるブログは、2014年4月までは「FC」、「筆談」がタイトルに明記されていたが[61]、2014年6月には消えた[62]。エスコアール社からの出版は2013年の『あるがままに自閉症です』が最後である[63]。2025年、KADOKAWAから刊行された『自閉症の僕が、今も跳びはねる理由』[64]は、「文字盤ポインティング」によるコミュニケーション方法を初公開するとされていたが[65]、2005年の『この地球(ほし)にすんで いる僕の仲間たちへ』で東田のコミュニケーション方法獲得過程の始まりとして詳述されていたはぐくみ塾での塾長鈴木による抱っこ法やファシリテイテッド・コミュニケーションの記述はなくなり「幼児教室や言葉の教室にも通いました」[66]という記述のみとなっている。
2016年、第57回日本児童青年精神医学会総会(青木省三会長)開催に寄せて、教育セッション<当事者との対話>「東田直樹氏+山登敬之先生」の企画が発表された[67]。当教育セッションを開催する是非は議論を呼び、東田の現在のコミュニケーション方法がファシリテイテッド・コミュニケーションである場合の当事者との対話として扱うことの妥当性が問われた。開催中止を求める声は「現在の筆談やポインティングを用いた東田氏のコミュニケーション方法に関する実証的研究が皆無であるがゆえに、これらの方法によるauthorshipが東田氏自身にあるのか否か、また倫理的問題は生じないのかといった論点」[3]を争った。総会会長青木は、山登および他の会員が東田のコミュニケーションを目の前で見てファシリテイテッド・コミュニケーションではないと判断したと述べ、予定通りのセッション実施を求めた。理事会が調査したところ、東田の過去の著作等からも東田のコミュニケーション方法がファシリテイテッド・コミュニケーションを経ており、東田はファシリテイテッド・コミュニケーションを米国で広めているビクレンと少なくとも3回にわたり講演会を実施していることが明らかとなった。「FCの有効性について学会が何らかの見解を示したと受け取られることにつながり、中立性を欠くのではないかという懸念」[3]が呈され、1ヶ月半におよぶ紆余曲折を経た。その後、開催是非をめぐる議論経過を「学会のホームページに掲載する」[3][68]という条件で開催が決定し、「本セッションに参加される会員・非会員の皆さまにおかれましては、『見れば分かる』といった科学的根拠に乏しい視点で参加されるのではなく、自由な討論のためには科学的・倫理的プロセスが必要であるという原則を忘れず、今後の学術的検証に役立てていただければ幸いです」[3]と締めくくられたが、東田側から登壇を辞退するという連絡が伝えられた[69][70]。
2019年にはミッチェルとヨシダによる『自閉症の僕の七転び八起き』の英語翻訳版『Fall Down 7 Times Get Up 8: A Young Man's Voice from the Silence of Autism』が刊行された。
2020年には、『自閉症の僕が跳びはねる理由』の映画が公開されたが、東田自身は出演していない[71]。東田の不出演については、自分の言葉を際立てさせたいからというものや[72]、映画を自分の話にしてほしくない等の説明が公開されているが[73]、映画を監督したロスウェルは、ウィキペディア英語版でのファシリテイテッド・コミュニケーションを通して執筆した複数の人物の項目が削除され始めて以来、東田は公の場に出ることをやめたのだとも述べている[74]。2021年、文部科学省は映画『自閉症の僕が跳びはねる理由』を特別選定映画とした[75]。
2021年10月、フォーブス30アンダー30(日本版)の一人に選ばれた[76]。
- 1992年8月12日:誕生。
- 1997年2月:幼稚園入園。
- 1997年5月(4歳10カ月)より数か月以前、君津市「はぐくみ塾」初来塾。
- 1998年3月:児童相談所て「自閉傾向」と診断を受ける。
- 1999年4月:小学校入学。
- 2004年4月:千葉県立君津養護学校小学部6年編入。
- 2005年4月:千葉県立君津養護学校中学部入学。
- 2008年4月:アットマーク国際高等学校(通信制)入学。
- 2011年3月:アットマーク国際高等学校(通信制)卒業[77]。