東蜆
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歴史
町名の由来
四郎兵衛新田開拓以前は蜆が多く生息していたことによる[7]。
人口の変遷
国勢調査による人口および世帯数の推移。
| 1995年(平成7年)[8] | 43世帯 199人 | |
| 2000年(平成12年)[9] | 42世帯 168人 | |
| 2005年(平成17年)[10] | 45世帯 167人 | |
| 2010年(平成22年)[11] | 42世帯 143人 | |
| 2015年(平成27年)[2] | 44世帯 139人 |
沿革
- 慶安3年 - 高入[7]。
- 1889年(明治22年) - 合併に伴い、十四山村大字東蜆となる[7]。
- 1909年(明治42年) - 地盤沈下により動力排水機を設置[7]。
- 1959年(昭和34年) - 伊勢湾台風被災により全戸浸水[7]。
- 昭和40年代後半以降 - 激しい地盤沈下[7]。
- 1981年(昭和56年) - 木曽川総合用水竣工[7]。
- 1977年(昭和52年) - 一部が竹田・亀ケ地・西蜆に編入され、また竹田新田・亀ケ地新田・西蜆の各一部を編入[7]。
- 2006年(平成18年)4月1日 - 合併に伴い、十四山村大字東蜆一丁目が弥富市東蜆一丁目、同大字東蜆二丁目が弥富市東蜆二丁目にそれぞれ名称変更[5]。